はじめに 信仰告白に生きる

信仰告白に生きる

私は日本基督教団の隠退教師です。日本基督教団には信仰告白があります。この信仰告白は、最初に聖書について告白します。紹介します。

我らは信じかつ告白す。
旧新約聖書は、神の霊感によりて成り,キリストを証(あかし)し、福音(ふくいん)の真理を示し、教会の拠(よ)るべき唯一(ゆゐいつ)の正典なり。
されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。
主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体(さんみいったい)の神にていましたまふ。

ここには、聖書が教会の拠るべき唯一の正典なりと告白されます。教会が立つ土台は、聖書ですさらにその聖書は、神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なりと告白されます。聖書は生活の規範なのです。さらに主イエス・キリストによって啓示され、聖書において証しせらるる唯一の神、三位一体の神であると告白されます。啓示とは、覆(おお)われていることが見えるようになることを意味します。聖書が告げる神が本当の神であると分かるのは、この覆いが取り除かれることによってです。これは聖霊の導きによります。

私たちは聖書を読むと神がいかなる方か、神が求める私たちの生き方を理解することができます。この理解は、信仰の有無に関係なく、文章の理解力があれば、理解できます。理解したからといって信仰に至るわけではありません。覆いが取り除かれて、目が開かれて、神を信じるようになります。私たちは聖書を読み、神がいかなる方かを知り、この神に信頼し、さらに神が私たちに願う生き方を受けとめ、これに従って生きるようになりますし、生きようと志します。このようにして私たちは聖書を信仰と生活の規範とします。

私はデボーションをすることは、この日本基督教団告白を誠実に告白することにつながると考えています。