第二コリント 11章22~29節 パウロの信仰

2022年1月11日

(内容)

  • パウロが伝道する中で体験したさまざまな困難が語られる。外的な困難だけではなく、教会についての心配事があり、弱らないでいられないとも語る。

(黙想)

  • ここにはすさまじいと言えるほどの伝道の困難をパウロが味わっていることがわかる。現代日本で福音を宣べ伝える者はこれほどの困難には遭わないだろう。開拓伝道を行い、何にも無いところから福音を伝え教会を築いて行くには経済的な困難はあるだろう。しかし伝道を邪魔する者たちから受ける困難はあまりないと思う。
  • 多くの牧師たちは教会に遣わされ、ある程度の経済的な保証を与えられて教会に仕え、説教し福音を伝える。パウロのようなすさまじい苦労はしない。もちろん、困難のない伝道はない。だれもがそれぞれの困難に直面する。
  • パウロはこのような困難に直面しても、なぜ、福音宣教をやめないのか。福音が真理であり、宣べ伝えずにはおれないからである。洗礼を受けキリスト者になったのに教会を離れる人たちがいる。彼らは、キリストを信じることがどういうことか、分かっていないから離れることができるのだろう。
  • パウロの姿を見るとき、福音が真理であること、これを信じて間違いないと思わされる。親鸞が師の法然上人にだまされて地獄に行ったとしても後悔しないと言うほど法然上人の教えを信じた。パウロの語ることを信じて地獄に行ったとしても後悔はしないと僕も言い、パウロの語ることを真剣に受けとめているし、これからも受けとめ続けようと思う。
  • 教会についての心配事は、いつの時代にもある。自分が教会に遣わされ、定められた期間教会に仕える。前任の牧師は僕の働きによって教会がどうなるのか、心配するかも知れないし、僕も後任の牧師の働きの結果として教会がどう変わるか気になる。教会の変化を聞くときもある。パウロは弱らないでいられないと語る。しかしパウロは心を燃やす。見倣いたいと思う。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>困難、迫害にもめげずキリストを宣べ伝えるパウロの姿勢を見るとき、キリストの福音が真理であるとの思いをたしかにする。福音が真理であるとの確信は死に近づきつつある者には励ましとなる。
  • <教え>パウロは教会についての心配事で弱らないではいられないと語る。現代では牧師が辞任しても次の牧師が赴任し、教会の働きは継続されて、パウロのように心配で弱ってしまうということは少ないかも知れない。しかし、教会がキリストの教会として形成されていくためには、祈りが必要となる。自分が仕えた教会についてはいつも祈りに覚えている。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、使徒パウロの働きを読み、わたしは励まされます。これほどの困難、迫害に直面してもパウロはキリストを宣べ伝えることをやめませんでした。あらためて福音は信じるに足るものだと確認し、励ましを受けました。福音を宣べ伝えるために、私も人生を献げてきましたが、これは感謝なことだと改めて思いました。感謝します。この感謝をブログに証ししたいと思います。
  • またパウロが諸教会についての心配事で心が弱らずにはいられないと語りました。教会は同じ人がずっといるのではなく、人の入れ替わりが常にあります。その中で、福音に生きる共同体として教会は存続します。順調な歩みを続けることは簡単なことではないことを思います。自分が過去に牧会した教会がどうなっていくのか、心配になります。だからあなたの導き、お支えを祈ります。今日も、私が仕えた教会のために祈ります。
☆与えられた導き
  • ブログに証しを書く。
  • 仕えた教会のために祈る

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