2025年11月26日
(内容)
- キリスト者はキリストの体につながり、それぞれ与えられた賜物に応じて教会に仕える。
(黙想)
- パウロは、自分を過大に評価しないように戒めた。その理由のひとつとして、キリスト者はキリストの体の部分であり、自分に与えられた賜物に応じてキリストに仕え、教会に仕える者であると語る。各自は与えられた賜物を生かして仕えればよいのであり、また仕えるだけである。自分自身について過大に評価する理由はなにもないと戒める。
- 僕も、福音を宣べ伝える務めを与えられた。神さまは、この務めを果たすために必要な賜物を与えてくださったと考える。牧師も人により、それぞれ違った賜物を与えられている。各自が賜物を生かせばよい。
- 牧師として特定の時代、特定の場所で務めを果たしてきた。それだけである。救済史という歴史の流れの中で、ほんのわずかな責任を果たしたに過ぎない。人々の前に誇るような業績を上げたわけでもないし、それを目指したわけではない。自分が何を成し遂げたのか、それが問題なのではない。与えられた場所で、与えられた時間、教会に仕え、キリストに仕え、神に仕えた。それでいいのである。
- あらためて思うことは、待ち望むことの大切さである。終わりの日が来て、救済史は終わりを迎え、神の国の完成が到来する。その時を待ち望みつつ、自分は限られた時間、限られた場所で福音宣教に取り組んできた。今は、その働きからも隠退しているが、自分は待ち望む者であることをしっかりと覚えたい。
- 自分がどれほどの働きをしたのか、それを誇ることは、お門違いである。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>各自に、それぞれにふさわしい賜物を与える方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>与えられた賜物を生かして神に、教会に仕えること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思い巡らすことができて感謝します。あなたによって賜物を与えられ、御言葉に仕える務めを果たしてきました。今は、その働きから引退しました。そしてこの務めは、この世で完成するのではなく、終わりの日、神の国の到来をもって完成することを覚えます。それ故、その日を待ち望むことの大切さを教えられます。このことを意識することはなかったですが、今回聖書を読み、思い巡らして教えられました。感謝します。み国の到来を待ち望む者として歩むことができるように導いてください。
- そのために、まず祈りにおいて、「あなたのみ国の到来を待ち望みます」との一言を祈るようにしたいと思います。また「われらの主こそは」(賛美歌21 16番)を賛美します。
☆与えられた導き
- 祈る時、「あなたのみ国の到来を待ち望みます」との一言を祈る。
- 「われらの主こそは」を賛美する。