2022年1月20日
(内容)
- パウロにはとげが与えられた。取り除いて欲しいとのパウロの祈りに神は、私の恵みはあなたに十分であると言われた。
(黙想)
- パウロの身に一つのとげが与えられた。それはパウロが思いあがらないように与えられたものである。そして与えたのはサタンであり、とげはサタンの使いであるという。
- サタンというのは、人間にプライドを持たせ、自分を誇るようにそそのかす存在である。自分を誇らせ、神に背かせようとするのがサタンの働きである。とするとなぜ、パウロが思い上がらないようにサタンは導こうとしたのか。不思議である。むしろ思い上がらせればいいのにと思う。
- サタンが人間をそそのかすとき、自分の肉(自分の中にあるもの)を誇るようにそそのかす。サタンは人が自分自身を誇るように導く。自分を誇り、神をないがしろにするようにそそのかす。
- この場合、パウロの体験したすばらしさは、神が与えたものである。パウロがこれを誇ることは神を誇ることにつながる。神の素晴らしさを誇ることになる。それでサタンはこれを妨げようとしたのではないか。サタンは人間に、自分を誇らせ、神を誇らせないように働く。パウロの素晴らしい体験を誇らせないようにしたのである。
- さらにサタンは、パウロを「痛めつけ」ようとした。そのためにとげを与えたのである。パウロが神を賛美しないように、そして神に仕えるパウロを痛めつけるためにとげを与えたことになる。
- パウロはそのとげをなぜサタンの使いであると判断したのか。私たちの身には色々なことが起きる。なぜ起きるのか、必ずしも明らかではないし、簡単に神がもたらしたとか、言うこともできない。でも人は神から来たと解釈したり、何らかの解釈をすることはある。
- パウロはとげをサタンの使いと解釈した。それはパウロを痛めつけるサタンの働きを理解した。そこで、彼はこれを取り除いて欲しいと神に祈った。三度祈ったという。文字通り三度なのか、十分祈ったということなのか。
- すると神からの答えが与えられた。「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分発揮される」、これが神の答え。パウロは痛みを与えられた。それは彼の弱さとなった。しかしその弱さの中で神の力が発揮される。とげが取り除かれてパウロは十分自分の力を発揮する可能性もあったが、パウロの弱さの中で神ご自身が力を発揮されることを神は選ばれた。パウロはそれを受け入れた。
- そしてパウロはキリストの力が自分の内に宿るように自分の弱さを誇ると語る。キリストの力が自分の内に宿ることをパウロは期待している。キリストを宣べ伝える働きを全うできるようにキリストの力が導く。キリストの力が彼を励ます。
- パウロは、弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりなどをキリストのために満足するという。人は自分の満足を求めるが、パウロはキリストのために生きており、この観点から考える。迫害されていてもキリストのために満足することができるという。ここにもキリスト中心に生きるパウロの姿がある。
- 弱さ、侮辱などは、パウロ自身に関することであり、自分の身に関することである。自分の状態、状況が自分では満足できないとしても、キリストのために満足するのである。理由は、「わたしは弱いときにこそ強いから」。自分の弱さを知っている人の発言である。
- パウロには、あらゆる教会についての心配事があり、だれかが弱っているなら、私は弱らないでいられないと語り、だれかがつまずくなら、心を燃やさずにはおれないと語る(11:28~29)。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>パウロの願いに対して、「私の恵みはあなたに十分である」と語り、パウロの願いは聞き入れなかった。神は私たちに十分な恵みを与える方である。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>自分の弱さを誇ること
- <模範>パウロはキリストのために生きている。それでパウロは自分の状況について、キリストのために満足すると語る。満足できるのである。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、私は今、牧師の働きから離れ、一人の信仰者として歩んでいます。自分の身に降りかかる伝道のための困難な状況はありません。しかし教会についての心配事はあります。この日本では、伝道がなかなか前進しません。教会は高齢化し、これから教会の維持が困難になってきます。経済的にも人的にも教会が自立するのが困難なときが来ています。
- 天の父よ、私にできることは何か、と考えます。弱さを覚える一人の信仰者に過ぎません。しかし私は弱いときにこそ強いのですね。私の力ではなく、あなたの力に期待します。諸教会で福音が余すところなく語られるように祈ります。祈り続けます。
☆与えられた導き
- 諸教会の福音宣教の働きのために祈り続ける