テサロニケの信徒への手紙一1章1~10節

信仰の友Nさんのデボーション

1996年5月

(内容)

福音がテサロニケ教会に伝えられたのは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによってでした。テサロニケの人たちは、ひどい苦しみの中で聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、主に倣う者となり、さらに主の言葉がそこから出て至る所に伝えられました。

 

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)主イエスは神が死者の中から復活させた方、そして来たるべき怒りから私たちを救ってくださる方。
  • (聖霊)福音を宣べ伝える時に働いてくださる方。語られる言葉に、聴き手に迫る力を与える方。ひどい苦しみの中にあっても喜びをもって御言葉を受け入れさせてくださる方。
☆神が求める私たちの生き方
  • (模範)イエス・キリストにたいする希望を持つ。聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れる。聖霊により神に対する信仰、救い主イエス・キリストを証しする。
  • (約束)力と聖霊と強い確信とによって福音は宣べ伝えられる。

 

(神の導き)

☆祈り

神さま、今日のみことばを感謝したします。力と聖霊と強い確信を与えてください。そして福音を伝えさせてください。喜びます。聖霊により喜びをもって御言葉を受け入れさせてください。

☆与えられた導き
  • U先生に聖書に導かれる喜びを伝える。

 

(夕べの黙想)

  • 神さま、今日の一日をありがとうございました。今日、あなたはわたしの前にシゲタさんというあなたの愛する子をお送りくださいました。感謝します。あなたの愛を賛美します。特別養護老人ホームの遠足ボランティアをしました。ひとりのお年寄りが目に入ってきました。車椅子でポツンとしておられるのでそこへ行き、散歩しましょうと車椅子を押すとさびしそうな、ガンコそうな、寡黙に見えるその方が語り出しました。道端に車椅子をとめて私も腰を下ろし、聞き入りました。何という悲しい人生。
  • 19才の頃、戦争。特攻隊。目の前で上官が突撃。自分は生きて帰った。しかし兄二人は戦死。母親に「お前も死ねばよかった。もう一度戦場に行け」と言われる。数年後結婚。一人娘が9ヶ月の時、妻が愛人と逃げる。夜昼となく乳飲み子の世話をし、仕事には負ぶっていき、育てる。その娘が結婚する時、娘から縁を切ると言われ(婚家の希望)、20年間は音信不通。この男性が脳卒中で倒れると市役所が娘さんを捜し出してくれ、20年ぶり病院での再会。以上の話をしてくれた。
  • 「自分の人生よい事は何もなかった。戦争で死んでいたらよかった」。しばらくしてから「一つだけいいことがあった」。
  • 「娘がクリスチャンになった。病院で私にも入れと言って、牧師を連れてくる、と言ったが、来なかった」と。「その時わしは説教はいらない。おれがその牧師に説教してやる、と受け入れなかった」と。その話し方から牧師が来るのを待っていた様子がうかがえる。また来なかったことにがっかりしている様子もうかがえた。私が「娘さん、きっと大人になり親になり若い時のことを思い出し、心が苦しかったかもしれませんね。それで信仰を持たれたかもしれませんね」と言うと「そうかな」、「そうかも知れない」と言われた。「娘さん、きっとご両親のことを祈っていたと思います」と言うと「娘も『ずっと祈っていた』と言った」と言う。「もしよろしかったら私に祈らせてください」と言うとうなずく。祈り終えてみると目に涙がたまっている。私も泣いた。私に「大切な宝物」という思いが湧いた。これはイエス様の思いだと私は思った。そしてふとこの人のことを祈り続けたいとの思いが与えられ、名前を聞くとシゲタ○○さん。帰って祈りのノートに名前を書く。書いた時、このことが「私の大切な宝物」になった。シゲタさんのことを祈るその時が私の大切な宝物」になった。大切にしていきたいと思う。
☆祈り

神さま、シゲタさんと私はどのように交わり、関わりを持ったら良いか、その都度具体的に教えてください。お願いいたします。イエス様が共にいてくださることを確信いたします。感謝します。ハレルヤ、アーメン。

 

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