2026年4月3日
(内容)
- イエスは宴会に招待された人が上席を選ぶ様子を見てへりくだることの大切さをたとえで教えられた。
(黙想)
- 7~11節は、婚宴に招かれたら、末席に座るよう教える。上席に座った場合、偉い人が来たので、席を替わって欲しいと言われることがある。そうして恥をかく。しかし末席に座っていれば、こちらへと上席に案内され、面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。
- 12~14節は、宴会を主催した人への教え。宴会に招く人は、お返しをできない人にしなさいとの教え。宴会を開催し、そのお返しで今度は宴会に招かれる。これは人間的慣習である。自己満足につながるのか。お返しのできない人を宴会に招くようにイエスは教える。そうすれば、正しい者たちが復活するとき、あなたは救われると教える。
- 私たちが宴会を開くとき、お返しをできない人を招くというのは、現実的ではない。お返しをできない人は、おそらく、見知らぬ人であり、敢えてそのような人を招いて宴会を開く理由は見当たらない。イエスはなぜ、このようなことを語られたのか。宴会を開いて人を招くところに、何か自分を見せびらかすような態度を見たのだろうか。それは高ぶりにつながるのかもしれない。
- 人間は自分を誇りたく思う。それでこそ、自分が自分であることを納得できる。みじめな自分は誇ることができないし、みじめな自分でいてよいとは思わない。自分を誇ることができるために、人はさまざまな努力をする。宴会の上席を選ぶのは、自分に対する誇り、プライドのゆえである。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>謙遜であること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝です。へりくだって歩むことを教えられます。謙遜が大切なことを人は知っています。しかし実際の行動において、謙遜でない振る舞いを人はします。へりくだること、謙遜であることは日々心がけています。
- もし自分の振る舞いの中で、謙遜であることを忘れて振る舞うことがあったなら、気づかせてください。
☆与えられた導き
- 自分の行動に問題があるとき、気づかせてくださいと祈る。