2017年6月28日
(内容)
イスラエルの王アハブがナボトのぶどう畑を欲し、手に入れる物語です。アハブの妻イゼベルが実質的に動き、ナボトを死に追いやり、その土地を手に入れます。この物語には、様々な人間の罪が示されています。しかも傲慢な権力者がいると何が起きるのかも示されています。
(黙想)
- アハブ王はナボトのぶどう畑を手に入れるべく、ナボトと交渉をします。ナボトに譲る気持ちがないと分かると機嫌を損ね、ふて寝をし、食事もしようとしません。機嫌を損ねる、そこには何が何でも欲しいとの「貪欲」の罪があります。思い通りに行かないので、機嫌を損ね、ふて寝をし、食事をしません。大人は思い通りに行かないからと言って、子供じみたこのようなことはしません。これはアハブの幼児性を示しています。彼は王かもしれませんが、人間としては成熟していません。「未成熟」もまた罪と言えると思います。自分のあり様について無自覚です。
- アハブの妻イゼベルは、夫が不機嫌な理由を聞きます。そして夫に代わってナボトのぶどう畑を手に入れてあげます、と夫アハブに語ります。「今イスラエルを支配しているのはあなたです」と王を慰め、そして王の名を利用します。ここには「傲慢」の罪があります。自分が権力者であれば、何でもできる、何でもしていい、との傲慢は、ナボトの命を奪うという結果をもたらします。
- アハブ王は妻イゼベルが何をしてナボトの畑を手に入れるのかについては、関心を向けません。妻のイゼベルにゆだねたのです。イゼベルが行うこと、それに伴って生じる結果にアハブは責任があると思います。アハブ王は自らの責任を放棄する「主体性の欠如」「無責任」という罪を犯すことになります。
- イゼベルはナボトの住む町の長老、貴族たちに悪意のある手紙を書きます。彼女は悪意を抱くだけではなく、その悪意を実行に移します。ナボトに無実の罪を着せ、彼の命を奪おうというのです。自分の手を汚さずに、ナボトの命を奪うのです。卑怯です。ずるいです。「悪意」「悪意の実践」「卑怯・ずるさ」などの罪をイゼベルは犯しています。
- ナボトの町の長老、貴族たちは、イゼベルの手紙を受け取り、そこに書かれている指示に従います。断食を行い、ナボトが神を呪ったとの偽りの証言をならず者にさせ、ナボトを石で打ち殺します。ここには「長いものに巻かれる」という長老・貴族たちの罪、権力者に「迎合する」という罪があります。
- もしアハブがイゼベルに余計なことをするなと言っていたなら、あるいは長老・貴族たちがイゼベルの指示に従わなければ、ナボトの命は奪われることはありませんでした。人の罪は、他者の命を奪うことにつながることを教えられます。
- 神は預言者エリヤを通してアハブに語ります。神はあくまでもアハブに悔い改めを求めています。人は自分の犯した罪の重大性になかなか気づきません。神がもたらす裁きを聞いて、その重大性に気づきます。アハブは自らの罪を知りました。そして悔い改めの気持ちを表しました。それを知った神は、アハブに降すとした災いを思いとどまります。でもアハブの子の時代に災いを降すと神はアハブに告げます。罪の赦しを人は得ることができますが、罪がなかったことにはなりません。罪の結果は残ります。アハブの場合、彼が犯した罪のゆえに、彼の子の時代に神からの災いが降ります。
- 神は罪を裁く方であり、悔い改める者には赦しを与える方です。
たとい罪は赦されても、罪の結果は残ります。それを人は重荷として背負うことになります。罪を犯さないように、人は気をつけねばなりません。神は万事を益としてくださる方でもあるので、その重荷を神さまにゆだねることができます。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- 神は罪を裁く方であり、悔い改める者には赦しを与える方です。
☆神は求める私たちの生き方
- (罪)傲慢は罪です。イゼベルは、ナボトの土地を奪ってもよいと考え、悪知恵を働かせます。権力を笠に着て、ナボトの町の長老・貴族たちに働きかけます。
- (罪)ナボトの町の長老・貴族たちはイゼベルに従います。権力者の迎合し、不正を働きます。
- (悔い改め)(模範)自分の罪に気づいた時は悔い改めることは大切です。悔い改めるアハブ模範です。
(神の導き)
☆黙想
- 傲慢な権力者がいると何が起きるのかが示されています。どこかの国の首相は支持率が下がらないということで、何でも出来るかのように考え、傲慢に振る舞っている姿を私たちは見ています。反対する人が少なくない法案を強引に成立させ、その後丁寧に説明すると言うも、説明責任を果たしたのを見たことがありません。何でも自分の思い通りになる、何をしても許される、との傲慢が顕著です。そしてそのことに気づかないのです。
- 長いものに巻かれる政治家、「それはおかしい」と声をあげない政治家を見ます。それだけでなく、指示を与えられていないのに忖度をして、権力者に迎合する人たちもいるようです。
- アハブ王は人として未成熟でした。そのために貪欲を自制することができず、間接的に殺人に加担しました。私たちクリスチャンが成熟した信仰者になっているのかどうかが問われる思いがします。自分の祈り、願いが聞かれないと神に対して不平を抱くとするなら、ふて寝をして食事をしないアハブ王と同類です。信仰者の成熟は教会の大きな課題です。
☆与えられた導き
- 神さまが、どこかの国の首相を退陣させてくださるように祈る。
- 「王たちやすべての高官のためにも(祈りと願いを)ささげなさい」とあるようにまっとうな政治家が選ばれ、まっとうな政治が行われるように祈る。祈り続ける。
- 牧師の務めは引退したが、「信仰者の成熟」のためにできる働きがあるのではないか、模索しているので、神さまの導きを祈る。