ヨハネ福音書15章11~17節

2020年2月25日

(内容)

  • イエスは、繰り返し、「互いに愛し合いなさい」と命じ、これが私の掟、命令であると告げる。そしてイエスが弟子たちに話をしているのは、「わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」と語る。

(黙想)

  • イエスの喜びが弟子たちの内にあり、弟子たちは喜びに満たされるという。イエスの喜びとは何だろう。イエスは父のみ心に従って歩んだ。み心に従うことを喜びとしたのではないか。私たちもイエスの掟に従う、そこに喜びがある。弟子たちはイエスの言葉を心にとどめておくべきことを教えられた(15:7)。イエスの言葉を心にとどめるとは、イエスの言葉に従うことでもある。イエスの言葉を心にとどめ、イエスの言葉に従う、そこにイエスとの交わりに生きる者の喜びがある。<喜び>
  • 具体的なイエスの掟として、弟子たちは「互いに愛し合う」。その模範はイエスであり、イエスは弟子たちを愛された。イエスは弟子たちをどのように愛されたのか。それは弟子たちをイエスとの交わりに生きるように召されたことではないだろうか。弟子たちはぶどうの木の枝として、ぶどうの木であるイエスにつながって生きる。イエスは弟子たちを交わりへと招いた。それゆえ弟子たちも、互いに交わりをもって生きるのである。交わりに生きる、それが愛するということ。聖書には「互いに~しなさい」との教えが少なくない。それは信仰者たちが交わりに生きるためである。弟子たちが交わりに生きる、そこに教会がある。<交わり><愛し合う>
  • 友のために自分の命を捨てること以上に大きな愛はない。イエスは間もなく十字架で命を失うことになる。それは弟子たちだけではなく、すべての者を愛する愛である。イエスの愛は、大いなる愛である。
  • イエスの言葉に従う者をイエスは友と呼んでくださる。イエスの友、私たちのアイデンティティーでもある。イエスは私たちの友となってくださる。イエスは私たちの主である。そして友でもある。イエスが私の友となってくださる。どう考えたらよいのか。友であるイエスとどう関わったらよいのか。イエスを友と考えたことはあまりない。イエスが私たちを友と呼ぶ理由は、イエスが父から聞いたことをすべて弟子たちに話したからとイエスは語る(15節)。イエスが父から聞いたことを弟子たちも聞いたことになる。つまりイエスも弟子たちも父に従う者であり、父に従うという点で共通している。共に父なる神に従うという点で同志といえる。同志としての友。<同志>
  • イエスは弟子たちが実を結び、その実が残るようにと弟子たちを選び友と呼ぶ。実は何を指しているのか。ぶどうの木のたとえでも、実を結ぶことが語られていた。愛に生きる交わりがあれば、愛の実を結ぶ。<実>
  • そしでここでもイエスの名によって父に願うことは何でも与えられるとの約束がある。
  • <喜び><交わり><愛しあう><同志><実> キーワード。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • <御子>12節。イエスは弟子たちを、そして私たちを愛してくださる方。
  • <御子>12節。イエスは弟子たちに掟を与える方。イエスの掟とは、弟子たちが「互いに愛し合う」こと。
  • <御子>15節。イエスは弟子たちを、そして私たちを友と呼んでくださる方。
  • <御子>16節。イエスは弟子たちを、そして私たちを選んでくださったお方
  • <御子>16節。イエスは弟子たちを任命する方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <約束>11節。イエスの喜びが弟子たちのうちにあり、弟子たちは喜びに満たされる。
  • <命令>12,17節。弟子たちは互いに愛し合う。イエスが弟子たちを愛したように弟子たちは互いに愛し合う。
  • <教え>13節。友のために命を捨てること以上に大きな愛はない。(イエスは命を捨てる)
  • <約束>14節。あなたがたを私の友とするとイエスは約束する。イエスの友となる者はイエスが命じることを実行する。
  • <教え>16節。実を結び、実が残るように、イエスは弟子たちを、私たちを選ばれた。
  • <約束>16節。イエスの名によって願うものは何でも与えられる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日も聖書を読むことができ感謝します。今日の聖書には、喜び、愛し合う、友、実などのキーワードとなるような言葉がありました。イエス様が私たちのことを友と呼んでくださるとありました。私はイエス様の友であり、イエス様は私の友なのですね。私たちが友なのは、ともに父に従うからですね。イエス様と私は父に従うという同じ志に生きる友、同志みたいですね。そして弟子たちは互いに愛し合い、交わりに生きる者たちです。教会に生きる者です。教会とは、信仰者の交わりであり、愛し合う交わりであり、愛し合う交わりには実が結びます。愛し合う信仰者としての交わりに生きる教会の姿を教えられます。そして信仰者は、イエスとの交わり、そして互いの交わりに生きるように召されています。
  • 教会こそ、信仰者の生きる場ですね。しかし教会の中で、すべての人が愛に生きようとしていないために傷つけられる人たちが教会の中に生まれます。教会とは一体何なのか。福音に生きる者にとって教会とは何なのか、聖書が教える教会とはどのようなものなのか、きちっと考えたいと思いました。聖書から教えられたいと思います。
  • まずは祈りをもって始めたいと思います。
☆与えられた導き
  • 祈りをもって始める。

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