2026年2月18日
(内容)
- 信仰の強い者も弱い者も互いの向上を求める。
(黙想)
- (1節)強い者は、強くない者の弱さを担うべきである。また自分の満足を求めるべきではない。14章で信仰の弱い者を裁いてはいけないし、彼らを躓かせるような行為をしてはならないとパウロは教えてきた。たとい自分の行動が正しくても、信仰の弱い者をつまずかせる可能性があるなら、それをしてはいけないのである。自分の満足を求める者は他者のことは考えない。他者を裁いたり、他者をつまずかせることをはしない。信仰の強い者は自分の信仰だけではなく、他者の信仰のことも考える。
- (2節)ではどのように信仰の強くない者の弱さを担うのか。善を行うのである。信仰の弱い者を支えるような善を行い、喜ばせるのである。信仰の弱さを嘆くことがないように寄り添うのである。そのようにして、信仰の弱い者を喜ばせるのである。そのような支えを通して、信仰が強められていくことを願うのである。またそのように信仰の強くない者を愛する行為は、信仰の強い者にとっても益となる。人を愛することができるのは幸いなことである。
- (3節)自分の満足を求めないことについて、キリストの模範を提示する。キリストも自分の満足を求めなかったと。ここで引用されているのは詩編69編である。
- 詩編 69:10
あなたの神殿に対する熱情が/わたしを食い尽くしているので/あなたを嘲る者の嘲りが/わたしの上にふりかかっています。 - 「あなた」は神殿に対する熱情を持っている。そして「わたし」もその熱情をもっている。あなたを嘲る者の嘲りが、私の上にも降りかかる。イエスは神に対して忠実に歩まれた。人々のあざけりを受けた死んだ。イエスは自分の満足を求めることなく、神に忠実に歩み続けた。イエスのように、私たちは自分の満足を求めず、信仰の強くない者と互いの向上に努めるのである。
- (4節)パウロは詩編を引用し、私たちを教え導くものであると教えた。私たちは聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けると書く。これは信仰に歩むための一般的な原理か。キリスト者が希望を抱き続けるためには、忍耐は必要であり、慰めを受けつつ忍耐して希望の実現を待ち望む。それがキリスト者であると言う一般的な原理を語るのか。
- それとも5節、キリスト・イエスに倣ってお互いに同じ思いを抱くという希望を持つということか。あるいは、キリストの体を造るということか。信仰の強い者も強くない者も、ともにキリストの体の部分である。
- キリストに倣って、自分の満足を求めず、互いの向上に努めるという同じ思いを抱き、心を合わせて神をたたえるという大きな目的が信仰者の前にある。私たちが愛に生きることができることは、神をたたえる大きな理由になる。
- 教会生活を続けていて、互いに同じ思いを持つということは簡単ではないことがわかる。それぞれが異なる考えを持っている。まず各自が聖書を読み思いめぐらし、自分の考えを整える必要がある。その上で異なる考えを持っていたら、どう調節するかが課題となる。
- この箇所は、信仰の強い者と強くない者が互いの向上を目指すことがテーマとなっている。このことの実現には神から来る忍耐と慰めが必要である。その場合、キリストに倣って互いに同じ思いを持つ努力が必要となる。それができるとき、神への賛美が生まれる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か、
- <御父>私たちがキリストに倣う歩みをしてたがいに同じ思いを持つように導く方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>聖書から忍耐と憐れみについて学ぶ
- <勧め>互いの向上に努める
- <勧め>キリストに倣い互いに同じ思いを持つ
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、パウロが書いていることは信仰者としての当然の歩みに見えます。しかし教会の現実からするととても理想的なことを述べているように思えてしまいます。信仰者は礼拝のために教会に集い、教会の活動のために力を尽くしますが、その土台となる相互の愛、相互の向上というところまで心が及ばないのが現実であると思います。今日の聖書にキリストに倣ってとありますが、「キリストに倣う」ことが信仰生活のテーマになるところまで、教会が成長いていないように思えます。パウロは教会のあるべき姿、教会に属する信仰者のあるべき姿を語っていますが、教会の現実はそこまで行っていません。わたしたちの教会は、まだ幼いことを思います。
- 今日の聖書を通して、あなたは私に何を語ろうとしておられるのでしょうか。
- 信仰者が互いに向上を目指して励まし合う教会となるように祈りたいと思います。世界中のすべての教会において、信仰者が互いの向上を目指すことができるように祈ります。
☆与えられた導き
- 教会において信仰者が互いの向上を目指すようになることを祈り続ける。