ヨハネ福音書 1章14~18節(1)神の独り子の栄光

2021年12月16日

(内容)

  • 言は肉となって、私たちの間に宿られた。そして私たちはその栄光、独り子としての栄光を見た。

(黙想)

  • 私たちは肉となった言の栄光を見た。それは父の独り子としての栄光である。父の独り子には恵みと真理が満ちており、これを私たちは見た。神である独り子は、父なる神を私たちに示した。これは信仰の告白の言葉と言ってよい。
  • まず私たちは言の栄光を見たという。それは父の独り子としての栄光であるという。栄光とあるから、それは素晴らしいものであるにちがいない。それが素晴らしいものなら、それを見た人の生き方が変わるにちがいない。キリストの栄光を見るとは、感動的な体験、素晴らしい体験、忘れがたい体験、人生で最高の思い出となる体験、というものではないだろう。
  • キリストの栄光を見た者は、自分の生き方が決定的に変えられ、自分は今生きていると言えることができるし、自分は父の独り子を誇ると言うことができるようにされるのではないか。使徒パウロは、キリストの十字架を誇ると語り、これ以外のものは誇らないと語っている(ガラテヤ6:14)。
  • イエスはヨハネ福音書では、神のことを父と呼んでいる、そして父から遣わされてこの世に来たと語り、父のもとに帰るとも語っている。そして世にあって、イエスは神の独り子として行動している。その行動をよく見る必要がある。イエスは神の独り子として何を語り、何をしたのか。そこに独り子としての栄光が輝いているとヨハネは語る。それを自分はどう見るか。どんな栄光を見るのか。
  • 父の独り子の栄光とは上辺のものではない。直接見ることができるものではない。彼の行動の背後にあるものを見なければならない。彼の語ったこと、行動、生き方に栄光を見ることができる。この栄光を見るには信仰が必要である。すると自分の生き方が変えられる。生き方を変えないなら、栄光を見たことにはならない。僕は生き方を変えられた。独り子の栄光を見ているはずである。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>神の独り子としての栄光の輝く方。
  • <御子>恵みと真理に満ちている方
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神の独り子、御子の栄光を見たなら、私たちの生きかたは変えられるにちがいない。信仰者となって自分の生き方が変えられたとして、イエスの何が私たちを変えたのか。私たちを変えたイエスの何か、それはイエスの栄光である。
  • <勧め>自分はイエスの何を見て、生き方を変えられたのか、振り返る。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、私たちは独り子の栄光を見たとヨハネは告白しています。では私は何を見たのかと思います。イエスの栄光を見たという自覚はありません。では私は全くイエスの栄光を見ていないのでしょうか。はっきり見たとは言えませんが、信仰者となり生き方が変えられたので、見ていないとも言えないと思います。確かなことはイエス様の「栄光」ということを意識してこなかったことです。
  • ヨハネ福音書を読み、イエス様の行動と教えの背後にあるものを見て、独り子の栄光を探りたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
  • ヨハネ福音書を読み、探る。

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