2020年6月17日
(内容)
- 妻に対して、夫に対して、子に対して、親に対して、奴隷に対して、その主人に対する戒めが語られる。
(黙想)
- エフェソ書にも似た教えが語られている。エフェソ書の場合「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」(エフェソ5:21)との言葉が最初にあり、その後夫婦に関する教え、親子に関する教え、奴隷と主人に関する教えが書かれています。つまり具体的な教えの土台にキリストに対する畏れを持ち、互いに仕え合うということが前提になっている。
- 今回注目したのは、24節「あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています」とある。この「知っている」はどのような意味なのか。教えられたから知っているということではない。
- 「あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを信じています」。「信じている」と書かれているなら素直に読める。聖書からそのように教えられ信じたからである。しかし「知っている」という表現には正直戸惑いを覚える。「知っている」は「信じている」より、一歩先に進んだ状態に思える。僕はそこまで行っていない。「信じている」段階にいる。
- パウロは時々、この「知っている」という表現を時々使っている。読むたびに僕は戸惑う。どう理解したらいいのか、課題か。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- (教え)妻は主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。
- (教え)夫は妻を愛しなさい。つらく当たってはいけない。
- (教え)子は両親に従いなさい。
- (教え)親は子どもをいらだたせてはならない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。今日の箇所から夫として妻を愛することをあなたから命じられました。3章12節で、あなたに愛され、聖なる者とされているので、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさいと教えられました。愛するとは、これらを身につけて接することと教えられます。
- 天の父なる神さま、私も妻もクリスチャンで共にあなたの戒めに聞き従うことを大切にしていることを感謝します。私たちは不完全な者であり、罪を犯す者であります。最近私が思うことは相手に対して寛容になることです。私たちは共に老いました。日常生活でささやかな失敗をすることが多くなりました。それを指摘し合うことは、失敗がなくなるからいいのかもしれませんが、指摘されることは気持ちのいいことではありません。むしろ寛容にその失敗を受け入れ、指摘せず、補っていくことの大切さを思うようになりました。互いの弱さに対して寛容になり、思いやりをもつということですね。
- これからも寛容な心を持って生活できるように導いてください。
☆与えられた導き
- 寛容な心をもって生活する。