2025年6月17日
(内容)
- イエスは弟子たちに、人々は自分のことをどう言っているか尋ねた。また弟子たち自身がどう思っているかも尋ねた。
(黙想)
- ルカ福音書の中で、この段落の意義は何か。イエスの働きがそれなりになされてきた。イエスは神の国の福音を宣べ伝えてきた(4:43)。イエスはメシアとして福音を宣べ伝えた。イエスのことがメシアであるとの理解を問うのがこの段落。ガリラヤでの活動が終わりに近づき、その成果を問う場面でもある。同時にこの箇所の次の段落では、イエスの苦しみ、死と復活が語られる。メシアの死と復活が語られている。
- イエスはひとり祈っておられた。何を祈っておられたのか。ご自分の活動がうまく行くように祈っているのか。僕の生活の中に「明夫はひとり祈っておられた」と描写される場面があるのか。
- イエスの活動は、イエスが誰であるのかを伝えることに意味がある。それが分かってこそ、その働きの意義も分かる。イエスは弟子たちに、人々が自分のことを何者と思っているかを尋ねる。「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「昔の預言者が生き返った」などの答えが返ってきた。イエスは弟子たちに自分を何者だと思うかと尋ねる。ペトロが「神からのメシアです」と答える。以前の口語訳では「神のキリストです」。最新の協会共同訳では「神のメシア」です。
- キリストという言葉はヘブライ語のメシアのギリシャ語訳と言われる。ギリシャ語本文は「キリスト」という単語が用いられている。
- メシアとは、油注がれた者の意味。旧約聖書では、王、祭司、預言者などになる時、油注がれた。やがて待ち望まれる救い主を指すようになった。イエスの救い主としておいでになった。神のメシアですというペトロの答えは正しい。しかし神のメシアがいかなる働きをするのか、それはまだ明らかにされていない。次の段落を見ると、十字架について死ぬことがわかる。
- イエスが僕に向かって尋ねたら、僕は何と答えるのか。「神のキリストと答えるのか」。「私の救い主」と答えるのか。「わたしの神、私の主」と答えるのか。
- 自分の言葉で、イエスと自分の関係を表す言葉で表現したらどうなるのか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>メシアである。神から遣わされた救い主である。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>イエスをどのような方と告白するのか。告白してみる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。主イエスは自分を何者というか、弟子たちに尋ねました。私たちは、主イエスの活動をすべて聖書から知ることができ、聖書はまた主イエスがメシアであることを告白しています。主イエスが私に尋ねたら私はどう答えるのかと考えます。主イエスをどのような方と信じて自分は生きているのでしょうか。生き方が、自分が主イエスをどのように信じているのかを現していると思います。
- わが身を振り返り、自分はイエスをどのような方と信じ生きているのかを振り返ってみたいと思います。
☆与えられた導き
- 自分はイエスをどのような方として生きているのか、確認する。
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・罪から救う方、あがない主である。
・イエスはまことの神であり、まことの人である。
・私の主であり、私はこの方に従う。
・イエスは御子であり、神の子とされて生きる私の模範である。
・私の内に住まわれるお方である。
・この方に似る者となる、私はそれを目指す。
・言葉が人となったお方である。