2025年6月11日
(内容)
- 湖の上を歩くイエスを見て、ペトロは自分も歩きたいとイエスに願った。歩き始めたペトロは強い風が吹いているのに気づいて恐れた途端、沈み始めた。
(黙想)
- この段落と前段落とは、時間的につながってはいない。それぞれ独立した伝承をマタイはつなげていると考えることができる。ただし、イエスが水の上を歩いたとか、ペトロに水の上を歩かせたとか、風が静まったとか、イエスをメシアとして描いていることは、前段落と変わりがない。
- イエスは弟子たちを舟に乗せ、向こう岸へ行かせた。逆風が吹いて弟子たちはなかなか向こう岸へ行けない。ひとり残って祈っていたイエスは、祈り終わると湖の上を歩いて弟子たちを追いかけた。理屈からすれば、水の上を歩くなんてあり得ないことである。
- 近づいてくる人影を見て弟子たちは恐れた。イエスは「わたしだ、恐れることはない」と語る。ペトロが驚くべきことを言う。自分も水の上を歩きたいというのである。言い方は工夫されている。「私に命令して、水の上を歩いて、そちらに行かせてください」。「私のもとに来なさい」とイエスに言わせ、そのために水の上を歩くことができるように願ったのである。愚かなことを言うなとイエスはペトロの願いを拒むことなくむしろ受け入れた。
- ペトロは水の上を歩いた。歩くことができた。しかし強い風に気づいて怖くなり、沈みかけた。「主よ、助けてください」と叫んだ。そしてイエスが助ける。そしてイエスは言う.「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
- ペトロの願いをイエスは聞いた。イエスは「来なさい」と言った。これはペトロは水の上を歩けるとの約束である。そして実際に歩けた。しかし強い風に気づいたペトロは恐れた。つまり自分は沈むかも知れないと思い、恐れたのである。水の上を歩けるというイエスの約束を疑ったのである。その途端、沈みはじめた。
- イエスは、信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのかとペトロに言った。イエスの約束を疑う、あるいは神の約束を疑う、それは信仰の薄いことなのだとイエスは語る。
- 信仰とは信じること、信頼すること。疑うことは信仰が薄いことになる。しかし、疑わずに信じることは必ずしも簡単ではない。でも疑わずに信じる者となることを求めるべきであり、それをかなえるのは神である。疑わないで信じることができるようになるのはどうしたらいいのか。それは神に求めることである。考え方を変えれば疑わなくなるというものではない。
- 沈みそうになったペトロの手をイエスは捕まえ、舟に乗りこんだ。すると風は静まった。それを見た弟子たちは、「あなたは神の子です」と告白した。イエスが神の子であることは間違いない。そして弟子たちはイエスを拝んだとある。
- この段落を読んで一番心に残ることは、「信仰の薄い者よ」とのイエスの言葉である。信じ切れない弱さを抱えながら信仰者の歩みをする、それが我々の現実である。しかし確信をもって信じることができるように神に求めることも大切である。
- 大切なことは自分と神との関係だ。関係が深ければ、信頼の度合いは高まる。神との関係、イエスとの関係を深めることが大事と受けとめる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエスは水の上を歩けると約束をなさる方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>約束を信じること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、疑うことは信仰の薄いことと教えられました。でも肉なる人間にとって、疑うことは自然の性(さが)です。だから、信じることができるように、確信をもって信じることができるように祈ることが大切と知ります。
- 信仰は虚構(つくりもの)ではないかと疑う心が私にはありましたが、先日読んだ聖書の言葉によって、その疑いが解消しました。あなたと私の関係が大事であると教えられました。イエスは群衆が飼い主のいない羊のように弱っているのを見たと、聖書に書いてあり、飼い主のいない羊は迷うこと、神こそ、自分の飼い主であることを認めることが大切と教えられました。
- これからもあなたとの関係を確かなものにしたいと願っています。言葉で何と表現していいのか分かりませんが、あなたとの深い交わりに歩むことができるよう導いてくださいと祈り続けます。導いてください。
☆与えられた導き
- 神との深い交わりに生きることができるように祈る。