マタイ 13章36~43節 毒麦のたとえの意味

2025年4月24日

(内容)

  • イエスは毒麦のたとえを弟子たちに説明した。この世界には、御国の子らと、悪い者の子らがいる。

(黙想)

  • 毒麦のたとえは天の国のたとえである。なぜこれが、天の国のたとえなのか。「天の国」という表現はマタイが用い、マルコ、ルカは「神の国」という表現を用いる。神の国とは、「神の御支配」を意味すると解釈される。天の国も神の御支配と考えることができる。神はこの世界をどのように支配されているのか、それがこのたとえで示されている。
  • 神は良い種をこの世界に蒔く。良い種とは御国の子らである。御国の子らが実りをもたらすことを神は願う。毒麦は悪い者の子らである。「悪い者」とは、悪魔、サタンと言われる。悪い者の子らは、この世界に、悪い実りをもたらす。
  • 神は悪い者の子らを取り除くことはしない。それは世の終わりに行うことである。この世界の現実は、御国の子らと悪い者の子らが並存する現実である。
  • この世界には争いや対立があり、それがこの世界に不幸をもたらす。苦しみ人を生み出す。特に権力者の振るまいが争いや対立を生み出す。そして平和が失われる。具体的な誰彼が悪い者の子らであると人間が判断するのは裁くことになり、よくない。悔い改めるかも知れないし。
  • キリスト者は、平和を求めて、苦しむ人が少なくなるように、人々が幸せに生きることができるように祈る。悪い者が取り除かれるように祈るのはよくないのかも知れない。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か。
  • <御父>この世界に御国の子らを良い種として蒔く。実りを期待する。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>この世界には悪い者が蒔いた悪い者の子らがいる。
  • <教え>悪い者の子らが取り除かれるのは世の終わりである。
  • <教え>この世界は、御国の子らと悪い者の子らが生きている世界である。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
  • 今日は、この世界には御国の子らと悪い者の子らがいることを教えられました。悪い者の子らが権力者になると、この世界に大きな争いと対立をもたらします。ウクライナ、ガザでの戦争などの争いを見る時、強い武力で自分の思いを通そうとする傲慢な権力者を見ます。彼らは少なくとも御国の子らではないと思います。私は、一刻も早く戦争、争いが終わり平和が訪れ、人々が平和に暮らすことができるようになるのを願い祈っています。今日の聖書は、悪い者の子らが取り除かれるのは世の終わりの時と教えられます。
  • キリスト者として、人々が平和に暮らせるようになることを願い、権力者が取り除かれることを願うことは御心とは違う、と教えられました。どのようにして平和が訪れるのか、それは神さまにゆだねることにしたいと思いました。ウクライナの人たち、ガザに住む人たちが、一日も早く安全に平和に暮らすことのできる日の到来を祈りたいと思いました。
☆与えられた導き
  • ウクライナとガザのために、一日も早い平和の到来を祈る。

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