ローマ 9章24~29節 神に選ばれた者

2025年5月30日

(内容)

  • 神は異邦人を憐れみの器として神の民として選ばれた。イスラエルの民も残りの者が選ばれて救われる。

(黙想)

  • パウロは、イスラエルの民がメシアであるイエスを拒んだことに心を痛めている。メシアを拒めば滅びを招くから。神の民イスラエルは、血縁関係によるアブラハムの子孫ではなく、神によって選ばれたものであることを指摘する。神に選ばれていないイスラエルの民はメシアを拒み、怒りの器となった。しかし神は、怒りの器の中から憐れみを器を選んだ。異邦人は、もともと神を知らず、神を崇めず、怒りの器であった。しかしイエスを信じ、神の憐れみを受けて生きる憐れみの器となった。神はユダヤ人の中から、キリスト者となるように召しだした人たちも憐れみの器とされた。
  • 25節でホセア書の引用がなされている。「自分の民でないものを私の民と呼び」。神は異邦人を選び、神の民とした。これはホセア書の実現であるとパウロは語る。異邦人は「愛された者」、「生ける神の子ら」と呼ばれる。イスラエルについては「残りの者が救われる」とあり、神の民イスラエルには残りの者が、いることが告げられる。
  • 世界史の中で、神はエジプトで奴隷であったイスラエルの民を奴隷から救い、神の民としてイスラエルの民を選んだ。しかし、神の民イスラエルの歴史は、神の民として忠実に歩んだ歴史というよりは偶像礼拝に走った歴史であり、神の怒りを招き国家の滅亡を招いた。イスラエルの民は外国の支配を受けながら生き続けてきた。そしてイエスが登場したが、イエスを信じたイスラエルの民、ユダヤ人はわずかで、キリスト教は異邦人の世界に広がっていった。今や異邦人がの中から選ばれたクリスチャンが神の民となっている。神の民でなかった者が神の民となり、神の子らと呼ばれる者なっている。
  • イスラエルの民は、メシアを拒んだが、神の民として残された者たちがいるとパウロは付け加える。
  • 信仰者は、神の憐れみによって選ばれたものである。異邦人の中から選ばれてキリスト者になった者も、キリスト者として忠実に歩まなければ、怒りの器になる可能性のあることを知らされる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神の民を選ぶ方である。イエスを信じる異邦人も神に選ばれたものである。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神に選ばれた者としてふさわしく歩む。

(神のみちびき)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。
  • あらためて、自分のアイデンティティーを考えます。先日マタイ福音書のディボーションで、自分は飼い主のいない羊として振る舞っていたことを思います。迷いの森の中をさまよっていました。でもあなたが私の飼い主であると知って、迷いの森から抜け出ることができて感謝です。今日の聖書は、わたしはあなたに選ばれ、導かれてキリスト者になったこと、また牧師の働きへ導かれたことを思います。あなたは私の人生をたしかに導かれました。このことを心に刻みたいと思います。
  • 今日は「飼い主わが主よ」を賛美し、自分のアイデンティティーを喜びたいと思います。あなたは私の飼い主、わたしはあなたに選ばれ、導かれる羊であることを喜びます。
☆与えら得た導き
  • 讃美歌354番で賛美する。

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