2025年6月18日
(内容)
- イエスは自分がこれから苦難を受けて死ぬことと復活をすることを語られた。
(黙想)
- いつからイエスはこのような認識を持ったのか。ファリサイ派、律法学者たちのたくらみを知ったからか。それともメシアとしての働きの結論がこうなると最初から理解していたのか。迫害の死は、もともと予定していたことなのか。思いがけないことなのか。
- ルカはマルコ福音書を参考にして、この福音書を書いている側面がある。1章の最初で、多くの人々がイエスについて書いていること、そして自分の順序正しくイエスについて書きたいと福音書を書いた理由を書いている。イエスがなぜ、自分の運命を知っていたのか、ルカは追求していないように思える。
- イエスとファリサイ派とのやりとりで、ファリサイ派の人たちはイエスを殺そうと相談した(マルコ3:8)。これと同じ出来事を描くルカは(6:6以下)は「殺す」という言葉を使っていない。
- イエスは自分の死と復活というこれから起きる出来事について、どのようにして認識したのか。ルカ福音書には、その認識を語る箇所はない。ルカ福音書からはイエスがどのようにして認識したのかは分からない。
- ペトロがイエスのことを「神からのメシアです」と告白した。その告白は間違っていない。しかしメシアがどのような歩みをするのかはペトロは知らない。この箇所でイエスは、メシアである自分がどのような道を辿るのかを語る。これを聞いて弟子たちは驚いたであろう。我々もメシアが殺されるとか、殺されるが復活されると聞くと驚く。でもそれが聖書が証しするメシアなのである。
- 神による人間の救いは、人間の思いを越えたものであることを肝に銘じなければならない。
- ルカが伝える福音は、悔い改めて神に立ち帰り、罪の赦しを得ること、と言ってよいと思う。
ルカ 24:47
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、使徒 2:38
すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。使徒 5:31
神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました使徒 10:43
また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。使徒 13:38~39
だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、
信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
- するとイエスが会堂で「今日、この言葉は実現した」と語った(ルカ4:21)。その言葉とは、以下の言葉である。
ルカ 4:18~19
主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。
- ここには罪の赦しという言葉がない。どう理解したら良いのか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>苦難を受けて死ぬが復活される方。それがメシア。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>神が私たちの救いのために用意されたことは、人間の思いを越えたものであることを肝に銘じなければならない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。今日の聖書で、イエスは自分が苦難に遭うこと、殺され、復活することになっていると弟子たちに語っていました。マタイ、マルコ福音書とちがって、ルカはイエスの死を殉教の死として描いています。そしてルカ福音書は福音を罪の赦しと考えているようです。
- イエスが故郷のナザレで話しをされた時(ルカ4章)、イエスが自分の到来と共に実現される救いについてイザヤ書を引用しました。その内容と福音は罪の赦しと理解する理解とは、整合性に欠けるような気がします。疑問の解明のために、ルカ4章のイザヤ書の引用箇所についての、注解書の説明を読んでみたいと思います。イエスの救いについて、このイザヤ書を引用するのはルカだけなので、ルカが伝えようとするイエスによる救いとは何かを知りたいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- ルカ4章のイザヤ書の引用について、注解書を読む。
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(嶺重淑)
4:18 貧しい人に福音を告げ知らせる
ルカはマタイ、マルコが間近な神の国の到来を語るが、ルカは、神の現在の救いを宣べ伝えるイエスを語る。イエスの宣教は、旧約預言の成就を意味している。イエスの救いの告知は、まず貧しい人々に代表されるこの世の社会的弱者に向けられる。ルカによるとこれらの人々が解放されることによる「主の恵みの年」が始まることになる。
イエスの宣教は、異邦人を含めた普遍的な救いを目指している。
ナザレの人々がつまづいたのは、結果的に、地域主義、民族主義に捕らわれていたからである。
(榊原康夫)
・イエスが神から遣わされたことを強調している。
・イエスは、解放を告げ、解放する方。
・悪霊の捕らわれから人々を解放し、盲人の目を開いている。
・イエスの活動を預言しているイザヤ書。
・榊原には、社会的弱者という理解はない。