第二コリント 6章1~2節 神との和解

2021年9月6日

(内容)

  • パウロはイザヤ書を引用し、今や、恵みの時、救いの日と語る。今、私たちが救われる時なのである。今、救いを考える時なのである。

(黙想)

  • 第二コリントは、パウロが自分が使徒であることを弁明しようとしている文書である。コリント教会はパウロの伝道によってできたが、パウロがコリントを去った後、別の教師が来て、パウロを批判し、コリント教会は少なからず動揺した。これに対して、パウロは自分が使徒であることを弁証する。
  • 5章の最後でパウロはコリント教会に向かって「神と和解させていただきなさい」と書いた。この場合の和解とは、悔い改めて信仰に入ることを意味していない。コリント教会の人たちはすでにキリスト者である。
  • 和解とは神との関係の回復を意味する。それは罪を悔い改めるごとになされる行為である。コリントの人たちはパウロが使徒であることに疑問を抱いた。それは間違いであり、それは悔い改めるべきものである。何が原因でパウロを批判するようになったのか、それは彼らがキリストによる救いの理解が不十分だったからである。パウロは自分が使徒であることを弁証する時、キリストによる救いが何か、キリストを信じる自分がどのように歩んでいるかを語る。人がどのように歩んでいるか、それはその人が真のキリスト者であるかどうかを示すものとなる。
  • 我々のキリスト者としての歩みは完全ではない。常に悔い改めるべき点がある。それに気づいた時には、悔い改めなければならないし、気づこうとしない態度もまた改めなければならない。つまり人は聖書を読み、自己批判することに心が開かれていなければならない。
  • キリストの救いを思い起こす時、それは恵みの時であり、救いの日である。救いの日、それは今日なのである。
  • 5章を読んで「和解」という言葉に注目した。信仰とは、神との関係に生きること、神との交わりに生きることであると理解してきた。それならなぜ「和解」という言葉を僕は使わなかったのか、と疑問に思った。信仰によって義とされることを語り、神との交わりに生きるのが信仰であると語ってきたのに、神は私たちを義とし、ご自身との交わりに招いてくださっていると語ってきたのに、なぜ和解という言葉を使ってこなかったのか。
  • 和解という言葉には、自分が「悪い」という印象を与える。世間で和解というと、被害を与えた側と被害を受けた側が和解するというイメージである。被害を受けた側が被害を与えた相手を訴え、和解に至る。訴える側と訴えられる側が和解をする。神は我々の罪を訴え、我々は罪を悔い改め、神との和解が実現する。和解という言葉には、我々は罪を犯す「悪しき者」というイメージが付きまとう。しかし、キリストの贖いにより、罪を赦されると語られると、気持的には軽い。気持ちが楽になる言葉を人は使いたくなる。和解という言葉が使われにくいのには、そんな言葉の響きの違いがあるかも知れない。
  • でも僕は、僕に命を与え世に誕生させてくれた神と、キリストによって僕を救ってくれた神とを区別しているかも知れない。キリストによって僕を救ってくれた神とは和解し、神との交わりに生きているが、世に誕生させてくれた神とは和解していないかも知れない。
  • 僕は小さい頃、死の恐怖を覚え、生きることを全面的に喜べなかった。僕の人生には死が暗い影を投げていた。僕に命を与え、世に誕生させた神は、なぜ、死が暗い影を投げる人生を歩ませたのか。この疑問は、世に誕生したことを感謝することのできない思いを僕に与えた。この神との和解を考えさせられる。
  • 人は辛い経験をすると、なぜ神は、と疑問を抱き、神に対して心を開けなくなる。心の底には「もし神がいるなら、神を許せない」という思いが潜んでいる。信仰に入ることをためらわせる。入信を妨げる。
  • 第二コリント5章を読み、神との和解を考える中で、神との和解を祈ってきた。和解の鍵は、自分の決断にあるように思う。神には落ち度はない。意地悪をしているわけではない。信仰を持ち、さらに牧師に召された背景には、あの暗い影があったことは間違いない。この暗い影は否定されるべきではなく、恵みとして受け取ればよい。受け取るか否か。受け取れば神との和解が成るのか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>「恵みの時に、私はあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、私はあなたを助けた」と語られる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>今日こそ、救いの日、恵みの時である。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、あなたとの和解について考え、また祈ってきましたが、「今こそ、救いの日」と聖書にありました。またあなたは恵みの時にわたしの願いを聞き入れ、救いの日に私を助けてくださいました。そのことを改めて思います。
  • あなたは私に命を与え、世に誕生させ、キリストを通して救いを与えてくださった神、信仰を与え、伝道者の務めを与えてくださった神です。私の心にはわだかまりがあり、あなたとの和解を考えるように聖書から示されました。今日思いめぐらしたことをもとに、もう一度祈り、あなたとの和解に生きることを決断したいと思います。どうぞ聖霊の導きを与えてください。
☆与えられた導き
  • 神さまとの和解に生きる祈りをする。

 

 

 

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