2021年10月28日
(内容)
- 「聖なる者たちへの奉仕」とある。これはエルサレム教会への献金を考えている。コリント教会に、献金の用意をするように勧めている。
(黙想)
- エルサレム教会は貧しい教会なので、パウロは献金を諸教会から集め、それを持っていく予定をしている。8章では、これを慈善と呼んでいた。9章1節では奉仕とある。
- 1~5節。アカイア州にある教会、つまりはコリント教会では、去年から献金の準備ができているとマケドニア州の教会(テサロニケ、フィリピ教会)にパウロは語った。そのことを「あなたがたのことを誇りました」と書く。これに奮い立ち、アカイア州の教会は献金を募った。そして献金を持ってくるマケドニアの教会員と共にパウロはコリント教会に行く予定をしている。もしコリント教会の献金がきちんと集められていないとコリント教会、そしてパウロは恥をかくと語り、コリント教会に献金を早急に整えておくよう勧める。
- 恥をかくという言葉は人間的な言葉である。献金が揃わなければ恥をかく、それは事実である。パウロはそうなっても、事実をありのままに受け入れるだろう。そうなったら恥をかき、自分のプライドが傷つけられるというような思いは持っていないと思う。「恥をかく」はコリント教会に献金を勧めるための一つの表現と受けとめる。
- 6~9節。献金の勧めをする根拠を書く。
「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」。ここでは献金、慈善の行為を種をまく行為としている。種をまけば実りを得る。そして神は喜んで与える人を愛してくださると書き、献金を勧める。「惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」。これは神の約束でもある。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>喜んで与える人を愛してくださる。
- <御父>あらゆる恵みで私たちを満ちあふれさせ、私たちがあらゆる善い業に満ちさせてくださる方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>惜しまず豊かに蒔くこと
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、惜しまずに豊かに蒔く人は刈り入れも豊かなのですとの言葉を私は信じ、献金をささげて歩んできました。そして振り返れば、あなたに祝福された歩みをすることができたことを思い、感謝します。
- 信仰生活は45年近くになります。この間、献金生活も続けてきました。本当に今日の聖書の言通りです。「惜しまずに」は献げる都度心に刻んだ言葉でもありました。御言葉によって導いてくださり、感謝です。
- 今日は、もう少し具体的に感謝の祈りをささげたいと思います。
☆与えられた導き
- 感謝の祈りをささげる
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天の父なる神さま、聖書からささげる心を教えられ、教会への献金についてはトマト心を合わせて献げてきました。コリントのこの箇所と同時に大切にしてきた聖書の箇所があります。旧約聖書のマラキ書です。
マラキ 3:10
十分の一の献げ物をすべて倉に運び/わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと/万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために/天の窓を開き/祝福を限りなく注ぐであろう。
あなたは祝福を限りなく注いでくださいました。生涯を振り返るとき、3人の子供たちが同時に大学に進学しているとき、経済的には苦しかったですが、あなたは乗り越えさせてくださいました。また対外的な寄付も定期的に行ってきました。少なくとも私の生活は経済的には守られてきました。あなたの祝福と感謝しています。
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