2021年11月6日
(内容)
- パウロがコリントを去った後、コリント教会に偽使徒たちがやってきた。彼らはパウロを批判し、コリント教会に影響を与えた。パウロはそれに対して反論をする。10~13章に反論が書かれている。
(黙想)
- 1節でパウロは、キリストの優しさと心の広さをもってあなたがたに願うと書いている。自分を批判するようになったコリント教会に対して、怒るような、反撃するような思いはパウロにはなく、むしろ愛をもって手紙を書く。
- 2節によれば、パウロたちは肉に従って歩んでいると批判されていることが分かる。そのように考える者には勇敢に立ち向かうと書く。そしてコリントに行くことを示唆し、強硬な態度を取らずに済むように願っていると書く。
- 3節。パウロは肉において歩んでいるが、肉に従って歩んでいないし、肉に従って偽使徒たちと戦うのではないと書く。私たちは肉体を持つ限り、肉において歩むが、肉に従って歩まない。肉に従うとは、信仰のない人たちが自分の思いと考えに従って歩むように生きることを言う。つまりは自己中心的に歩み、罪を犯して生きることである。
- 4節。パウロの戦いの武器は、肉のものではなく、神に由来する力であるという。肉とは人間的な力・手段をいう。具体的には説得である。偽使徒たちはパウロたちは肉に従って歩んでいると非難しパウロを攻撃した。パウロの反論も言葉用いてなされるが、パウロは神が助け導いてくださることを信じている。聖霊の働きである。神の応援こそ、パウロの武器なのである。この神の力は要塞をも破壊するに足りるという。神の助けは要塞をも破壊する。ダビデは神の導きによりペリシテ人との戦いに連勝したことを思い出す。
- 理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせると強い口調で語る。相当な自信である。それは自分が徹底して神に従順に歩んでいるとの確信から生まれてくるものであると感じる。そして神の導きへの徹底した信頼である。
- 6節。コリント教会の人たちは、パウロに、そして神に従順になると書く。パウロは信じている。
- パウロが直面しているような事態を私たちは経験するのか。基本的にはない。牧師は牧会する教会を変わることがある。教会は後任の牧師を迎える。後任となる人は、偽使徒、偽教師ではなく、日本基督教団で牧師としての資格を得た人である。また自分が去った教会宛に、教会を指導するような手紙を書くこともない。
- 時に、後任の牧師の働きが十分ではなく、教会を弱めてしまうことがある。去った者は、自分が去った教会には干渉しないのがルールである。祈ることはできる。
- この箇所を読んで、自分が理屈をこね、高慢になり、キリストに対して不従順になっていないか、自己批判しつつ歩むことの大切さを教えられる。
- 同時に教会を大切に思うパウロの心を思う。キリストの優しさと心の広さをもってコリント教会に関わろうとする態度。こういう言葉が出てくるところがすごい。信仰者の口から出てくる言葉は時に、その人がどんな信仰に生きているかを現している。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>キリストは優しい方である。
- <御父>神の力は要塞をも破壊する力がある。神の助けは徹底して信頼することが大切である。
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>キリストの優しさに倣って生きる
- <模範>パウロは心を広くコリント教会に接している。
- <罪>傲慢。理屈をこね、知識を誇り、傲慢になってはいけない。
- <勧め>キリストに従うこと
神の導き
☆祈り
- 天の父なる神、今日も聖書を読むことができ感謝します。あらためて教会は聖書に聞き従って歩むべきことを思います。私がかつて牧会した教会、また関わりのあった教会のために祈っていますが、祈り続けなさいとの勧めを受けたと考えます。
☆与えられた導き
- 諸教会のために今日も祈る。