2021年11月3日
(内容)
- パウロは献金という慈善の働きに対して、神さまが実を結ばせてくださると告げ、献金を励ましている。
(黙想)
- 10節。エルサレム教会に対する献金を慈しみの働きとパウロは書く。そして神さまはその慈しみの働きの実を成長させてくださる。どんな実を結ぶのだろうか。
- 11節。コリント教会の人たちはすべてのことに富む者とされ、惜しまずに施す者とされる。さらに神に対する感謝の念が引き出される。エルサレム教会の人たちの感謝の思いと考えてよいと思う。
- 12節。エルサレム教会の感謝の思いが引き出される理由を述べる。
- 理由① コリント教会の献金は聖なる者たち(エルサレム教会)の不足を補うだけではなく、神に対する感謝を通してますます盛んになる。
- 神に対する感謝を通して、奉仕の働き(献金の働き)はますます盛んになるという。この場合の感謝はエルサレム教会の感謝であり、献金を受けたことに対する感謝をさすだろう。この感謝を聞くとき、さらにエルサレム教会への献金が盛んになるという。
- どのようの盛んになるのか。コリント教会だけでなく、他の教会もさらに献金をするということか。現代とちがって集めた献金は実際に持って届けなければならないから、集まったらその分だけ送金するというわけにはいかない。パウロが実際に届ける。これは何回も届けることができるものではない。ギリシャからエルサレムまでは航海、もしくは歩いての旅である。エルサレム教会への献金がますます盛んになるというのはどうなのだろうか。
- 13節。理由②。コリント教会の人たちがキリストの福音に従順に生き、証しをしていることがエルサレム教会に伝わる。そしてエルサレム教会は神さまをたたえるようになる。まだ献金は届けられていない。パウロは届けられたらどうなるかという話をしている。献金を勧める理由として語られている。自分たちの信仰の証しが伝わることはうれしいことである。
- 14節。理由③。エルサレム教会は、コリント教会を慕い、コリント教会のために祈る。教会が互いのために祈り合い、働くのは幸いなことである。
- 15節。エルサレム教会への献金について、言葉では言い尽くせない贈り物という。
- エルサレムから始まってキリスト教が広まっていく。エフェソ(トルコ)、コロサイ(トルコ)、フィリピ、テサロニケ(ギリシャ)の教会が新約聖書に記録されている。パウロはローマ教会宛の手紙を書いている。エルサレム教会が経済的に貧しいということで諸教会から献金が寄せられる。当たり前のことではない。キリスト者たちは、救いを感謝して献金を献げたことであろう。裕福な人がたくさんいたとは思えない。惜しまずにささげられた献金。パウロは、言葉では言い尽くせない贈り物という。献金は尊いものなのだ。
- 10節。神は種を蒔く者に種を与え、パンを糧として与えてくださる方である。そして種を増やし、慈しみが結ぶ実を成長してくださる。種を成長させ、実を結ばせてくださる。
- 信仰者が蒔く種は、献金のわざだけではない。種まきのたとえがあるように、神の言葉を種として蒔くことはとても大切な行為である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>種を蒔く人に種を与える方。実を結ばせてくださる方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>慈しみの種を蒔くこと
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、あなたは種を与えてくださいます。そして私たちは与えられた種を蒔きます。神の言葉を蒔く人がいれば、善い業(9:8)の種を蒔く人がいれば、施し(9:9)の種を蒔く人もいます。パウロはコリント教会に聖なる者たちへの奉仕について語りました。エルサレム教会の貧しい人たちのために施し、献金をささげることを勧めました。
- 今、私が出席している教会では墓地移転、改装のための献金を募っています。約束献金をしていますが、今年分の献金を近いうちに献げたいと思いました。
- 私は、10節に目が留まりました。あなたは種を与える方、種が実を結ぶように成長させてくださる方です。そしてあらためて私は、神の言葉の種を蒔くように召されていることを思います。今回、種を与えてくださるのはあなたであることが示されました。あなたは牧師の働きから引退した私に説教奉仕の機会を与えてくださり、御言葉の種を蒔く機会を与えてくださいました。感謝です。またブログを通して、御言葉の種を蒔く働きもしています。このわざを神さま、祝福し、なお助け導いてくださるようにお願いいたします。
- 何を書いていいか分からないときもあります。そのような時も導いてくださるようにお願いします。いつも祈っていますが、今日も種を与えてくださるように祈ります。
☆与えられた導き
- 約束献金を献げる。
- ブログのために祈る