ルカ福音書 10章25~38節 大切な憐れみ

2025年8月25日

(内容)

  • 律法の専門家がイエスを試そうとして「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるのかと質問した。そしてイエスはサマリア人のたとえが語られる。

(黙想)

  • ある律法の専門家がイエスを試そうとして質問した。「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるのか」。イエスは「律法には何と書いてあるのか」と逆に問い、律法の専門家が答えると、それを実行しなさいと語った。
  • 律法の専門家は何をしたらいいのか、知っているのである。だからイエスは、それを実行しなさいと語った。律法の専門家は、何をしたら命を得られるのか知っている。しかし実行はしてない。なすべきことを知っていながら実行していない。これは誰にでも、よくあることである。
  • 律法の専門家はイエスを試した。しかし思いがけず、イエスから「それを実行しなさい」と言われ、イエスの逆襲を受けた。彼は自分を正当化しようとして、「わたしの隣人とは誰か」とイエスに問う。
  • 律法の専門家は、自分を正当化しようとした。なぜ、自分を正当化しようとしたのか。彼は「何をしたら」とイエスに教えを乞うた。イエスを試した。逆にイエスから問われ、彼は、自分が答えを知っていることをイエスに知られた。イエスは実行しなさいと言った。彼は自分が永遠の命を得る方法を知っていることを暴露した。そしてイエスから実行しなさいと言われた。彼は永遠の命を得る方法を知っているのに、それを得るために行動を起こしていない。実行していない。そのことが知れてしまった。イエスを試そうとしたことが知られてしまったと思ったかも知れない。
  • それでさらに質問を続けることにした。「私の隣人とは誰ですか」。そしてイエスはサマリア人のたとえを語った。そしてイエスは、「誰が追い剥ぎに襲われた人の隣人になったのか」と尋ね、律法の専門家は正しく答えた。そして再びイエスは、「あなたも同じようにしなさい」と言った。
  •  律法の専門家はイエスを試そうとしたが、これは失敗した。彼は何をすべきかは知っているが、実行していないことを暴露した。私たちもまた、同じ過ちを犯していると言える。何をすべきか知っているのにそれをしないという過ち。
  • イエスは、律法の専門家に対して誠実にていねいに対応している。「律法に何と書いてあるのか」と問い、彼の理解を引き出そうとしている。イエスは一方的に教えるのではなく、対話しながら教えようとする。上手な教え方だと思う。そして「それを行いなさい」と答えを提供している。効果的に教えるとはどういうことか、一つの実例を見る思いがする。
  • この段落は、隣人を愛するとはどういうことかを教えている。自分の隣人は、自分が決めるのではなく、自分に助けを求めている人である。その人の隣人になるか否かが問われる。サマリア人のたとえでは、祭司やレビ人は、隣人になることを拒んだのである。
  • サマリア人は、追い剥ぎに遭った人を見て、憐れに思っている。この憐れみが彼の行動を促している。憐れみを抱く人と抱かない人がこのたとえに登場している。困っている人を見たら、憐れみを抱く人間になりたいと思う。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>質問者にていねいに関わる方。教え方が優れている。
☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>困っている人を見て、憐れみを感じる心は大切だ。だから助けることができる。
  • <勧め>助けを求めている人がいて、自分に助けが求められていると思うなら、その人の隣人となることが大切である。でも義務感では、助けることができないかも知れない。しなければならないからするというのは苦しい。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。印象に残ったのは、サマリア人が追い剥ぎに遭った人に憐れみを感じ、彼を助けたことです。憐れみを感じない祭司やレビ人は、通り過ぎました。聖書から隣人愛を教えられている者として、憐れみを感じる心がほしいと思いました。
  • 自分の身の回りには、助けを求める人がいなくても、テレビで放映されるガザのパレスチナの人々を見て、大変だなと思います。だからといって自分にできることは、今は祈ることしかありません。でも祈る思いがあることは感謝です。
  • 主イエスの教えってすばらしいですね。こうして聖書を読むと、神はおられると思えて、感謝です。
  • 知人の牧師が今度の日曜、この箇所で説教を行います。その説教準備のために祈りたいと思います。
  • 今日の導きを感謝します。
☆与えられた導き
  • 知人の牧師の説教準備に導きを祈る。

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