ルカ福音書10章21~24節 イエスの喜び

2025年8月23日

(内容)

  • 72人が伝道の成果を報告したとき、イエスは喜びにあふれて神をたたえ祈られた。

(黙想)

  • イエスが喜んだ理由は、神が「これらのこと」(21節)を知恵ある者や賢い者たちには隠し、幼子には示したからである。これは父なる神にふさわしいことであるとイエスは語った。
  • 「これらのこと」とは、もし既に語られてことを指すとするなら、イエスの弟子たちが悪霊を追放したことを指していると考えることができる。72人はいやしを行い、悪霊を追放し、神の国の到来を示した。イエスもすでに神の国の到来のしるしを奇跡で示した。しるしを認める者は、イエスがメシアであることを信じることになる。これを信じるのは幼子のような者であり、知恵ある者、賢いものは信じないという前提があるように思われる。11章のベルゼブル論争では、イエスが悪霊を追い出しているのは、悪霊のかしらによって追い出していえるとイエスを批判する者がいた。おそらく、知恵ある者、賢い者たちであろう。
  • あるいは「これらのこと」は、これから語ることを指すと考えることもできる。するとイエスが父なる神を示されたことを指すかもしれない。イエスが示された父なる神を信じるのは、「子が示そうと思う者」つまり幼子のような者であり、知恵のある者、賢いものは信じない、と考えることができる。
  • いずれにせよ、イエスがメシアであると信じる者は、幼子のような者であり、知恵ある者、賢い者は信じない。イエスは、信じる者がいることをここで喜んでいる。
  • イエスは聖霊によって喜びにあふれた。父の御心に適うことが行われたからか。福音は知恵ある者に隠されているとパウロも語っていた。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か。
  • <御子>イエスは喜びにあふれて神をたたえた。
  • <御父>すべてのことをイエスに任せた。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>幼子のように、素直に信じることが大切である。知恵や知識があると、それが先入観となって、イエスを、福音を信じることができないことがある。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
  • 主イエスは神の国の到来を告げましたし、弟子たちを派遣して、神の国の到来を宣べ伝えさせました。それを信じたのは幼子のような者たちであり、知恵ある者や賢い者たちは信じませんでした。幼子のような者たちが信じたことを主イエスは喜んでいます。
  • 現在の日本において、福音宣教が困難の中にあって、主イエスが喜ばれたような喜びが私たちから遠ざかっていることを思います。実りは豊かですが、刈り取る人が少ない現実があります。諸教会が刈り取りの喜びを味わうことができるように導いてください。
  • 天の父なる神さま、教会は福音を宣べ伝える使命に生きていますが、福音を十全に宣べ伝えるという点で、不十分な気がします。福音を罪の赦しに限定しているように思います。クリスチャンが、罪の支配から解放された喜びは伝わってこず、キリストを信じる幸いを伝えることができないでいるのではないでしょうか。これは教会にとって致命的な問題です。この問題意識が広まり、諸教会が伝道に新たに取り組むことができるように導いてください。このことを祈り続けたいと思います。
☆与えられた導き
  • 福音があますところなく宣べ伝えられるように祈り続ける。

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