ヨハネ福音書 1章1~5節

2019年5月14日

(内容)

・言について語られている。

(黙想)

  • 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。聖書の神は言を語る神であり、神が語る言ゆえ、その言は神であると語られる。そして万物は言によって成った。
  • 僕は万物の一つにすぎない。まず言があり、その言によって、僕が存在する。言が先にある。神がおられ、その意志が言となって万物を生み出し、僕も存在するようになった。僕が物事を考えようとするなら、まず神を出発点とするのが順序だ。神が出発点となるべきだ。僕は神によって存在しているのだから。しかし僕は自分を出発点として物事を考えてきた。考え方が逆転しているのだ。
  • 僕という存在は、万物の一つである。僕という存在は言のおかげで存在するようになった。僕は無条件に存在しているのではなく、神によって生を与えられた存在であることが知らされる。神によって存在を与えられている、これが前提である。しかし、自分が存在していることが前提で、そこから神を考えたりする。ここには逆転がある。誤った逆転である。神あってこその自分であるのに、。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か

  • (言)神の言は、神と共に、初めから存在した。そして万物を創造した。

☆神が私たちに求める生き方

  • (教え)僕が万物の一つとして創造された。神あってこその自分の存在。

(神の導き)

☆祈り

  • 天の父なる神さま、今日は、私自身の思考方法が逆転していることを知らされました。神の言葉を出発点にして考えるべきであると教えられました。これまでは、まず自分が存在し、自分がどう考えるのかが出発点でした。だから終末の事柄をどのようにしたら本気で信じることができるのか、などと考えてきました。でも違うのですね。終末がある世界に私は誕生して生きていることを教えられます。
  • あなたが語られることが出発点です。自分が出発点で物事を考えるのは逆転だったのですね。あなたが作られた世界は終末がある世界、この世界に私が生まれたことを認めれば、終末の事柄は本当なのか、本当に起きるのだろうかなどという疑いは生じないことを思います。
  • 私は聖書を神の言葉と信じています。でもそれは、自分を出発点とする考えにおいて、聖書を神の言葉と認め、信じるわけですが、事柄によっては、本気で信じられないこともあります。でもそれは、考え方が逆転しているからだと知りました。このことに気づけば、終末の事柄を信じることも容易になることを思います。
  • 逆転していた考え方を正し、聖書を神の言葉として生きていくことができるように導いてください。

☆与えられた導き

  • 自分の考え方を正すこと。神の言葉を出発点として物事を考えるようにする。

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