2020年8月12日
(内容)
- いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝するように、さらに霊の火を消すな、預言を軽んじるな、などの勧め。
(黙想)
- これまでパウロは、テサロニケの人たちは苦難を受けるように定められている(3:3)、「主にしっかりと結ばれている」(3:8)、「聖なる者となる」ことを目指している(4:3、7)、「主と共に生きるようになるため」(5:11)と語ってきた。
- 「いつも喜べ」。何を喜ぶのか。信仰者が何を目指しているのかを忘れてはいけない。世の人と同じことを喜ぶのではない。自分が目指すべきことを目指して歩んでいることを喜ぶと言えないか。主と結ばれて生きることを喜ぶのではないか。それならいつも喜ぶことができる。いつも喜ぶことは、自分の毎日を喜ぶことであり、自分の信仰者としてのあり様を喜ぶということとなるのではないか。自分が目指すべきことを目指して歩むことを喜ぶ。
- 「絶えず祈りなさい」。起きてから寝るまで祈り続けることを意味しているわけではない。生きるとはさまざまな活動をすることであり、時間的には、祈ることのできない時間も多々あるのが現実である。しかし祈りを忘れてはいけない。日課として祈る時間をもうけ、祈ればよいのか。「絶えず祈りなさい」は信仰者の一つの姿勢であり、こうすることと決めることはできないのではないか。人それぞれ、「絶えず祈りなさい」をどう受けとめるのか、その受けとめに従って祈るということではないか。
- 「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エフェソ6:18)。ここではすべての聖なる者たちが必要としていることに目を留めて祈ることが意味されているように思う。自分のことだけではなく、他の人たちの必要を見分けて祈るのである。目を覚ますとはぼんやり物事を見るのではなく、他の人たちの必要に目を留めることができるように緊張しているというか、目が覚めているというか、目配りするということになる。
- 「どんなことにも感謝しなさい」。「どんなこと」とはどんなことなのか。世界に起きるあらゆることを指すのか。それとも自分の生活に起きる「どんなことでも」なのか。
- 常識的に言えば感謝できないことがいくらでも自分の身に起きる。でも信仰者は常識に従って生きているわけではない。目指すべきものを目指して生きている。神はすべてのことを益としてくださるという点に立てば、自分の身に起こるどんなことも感謝できるのではないか。ことさら感謝を数え上げるということには無理が生じる。
- 信仰者として自然体に生きていきたいと思わされた。自然体で、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことでも感謝をする。これができるには、心に不満やイライラ、怒りなど心から平和を奪うようなものがあってはいけない。あればそれらを解決する必要はある。
- 「キリストにおいて神があなたがたに望んでおられることです」。キリストにおいて神が望むとはどういうことか。キリストを信じる者に対して神が望むことといえるのではないか。神は誰に対しても望むのではなく、キリストを信じる者に対して願う。
- 「霊の火を消してはならない」。聖霊の導きを退けてはならない。聖書を読み、聖霊の導きを求め続けることが大切だ。聖書を読み、聖霊の働きにより導きを受け取ること、そして実践するすることが大切と受けとめる。
- 良いものを大切にし、悪いものから遠ざかりなさい。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- (御父)いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝することは、キリストに対して神が望んでおられることである。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>いつも喜んでいること
- <勧め>絶えず祈ること
- <勧め>どんなことにも感謝すること
- <警告>霊の火を消してはいけない。
- <勧め>良いものを大切にし、悪いものから遠ざかること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父、今日も聖書を読み思いめぐらすことができて感謝します。
- 昨日インターネットを通してある牧師先生の説教を聞きました。私はその先生の説教のために祈っています。前回聞いた時から一年ほど経っていると思います。残念ながら私が感じている問題点は、相変わらずでした。祈り続けることに意味はあるのか、と感じてしまいました。今日、絶えず祈りなさいとあなたから言われました。忍耐強く、祈り続けたいと思いました。
- 絶えず祈りなさいと勧められました。私には今大きな祈りの課題があります。この課題のためにもっと時間を取り、祈り続けるべきことを教えられました。感謝します。
- また、すべてを吟味して良いものを大事にしなさいとありました。私は読書が好きでいろいろ読みます。先日ある本を読んで考えさせられたことがありました。そして今日の「良いものを大事にしなさい」がピッタリの言葉でした。この世の人たちが読む小説はもうやめて信仰の先達の本を中心に読みたいと思いました。昨日からジョン・バニヤンの本を読み始めていますが、『天路歴程』以外の本はまだ読んでいないので、読みたいと思います。
☆与えられた導き
- ある説教者のための祈りは続ける
- 自分の課題のために、時間をとり、祈り続ける
- ジョン・バニヤンの著作を全部読むことにする。