2023年3月11日
(内容)
- 詩人は敵の攻撃を受け、身の危険を感じ、死の恐怖に襲われている。神が敵を滅ぼすことを祈願する。
(黙想)
- 1~7節では、「敵が」と語る。敵が自分を攻撃し、詩人は命の危険に直面し、死の恐怖に襲われている。13節では「わたしを嘲る者が敵であれば」と語る。この者は、かつて親しかった友であり、親しく交わった者たちである。友であった敵は詩人を嘲るという。嘲りを受けただけでは死の危険は感じないと思う。
- 詩人は「敵」と一般的に呼ぶ人と、かつて友として仲良かったが今は自分を裏切る者と二種類の敵から攻撃されているのか、両者は同じなのか、分かりにくい。
- 詩人は今自分のいる場所から遠く離れた場所に行き、危険のない場所に行けたらいいのにとの願望を語る。それは現実的ではないし、解決にはならない。
- 詩人は神が敵を滅ぼすことを切に祈る。祈った結果がどうなったのかはわからない。詩人は神に祈る。夕べも朝も昼も悩んで呻くとある。神に訴え続けている。そして神は祈りを聞いてくださると信じ、「あなたの重荷を主にゆだねよ」と訴える。
- 1~7節の敵の攻撃に死の恐怖に襲われるという言葉が、ロシアの攻撃に苦しむウクライナの人たちの気持ちでもあると感じる。ミサイルがいつ自分の近くに落ちて死ぬかも知れないという恐怖が現実にある。詩人が敵の滅びを神に願うように、ウクライナの人たちもロシアの敗北を願うだろう。でも現実には、すぐには自分の願い通りにはならない。ロシアの勝利を願う人もいれば、ロシアの蛮行を赦さないとする西側諸国の働きや人々の祈りがある。そしてこのような事態の中にあって、神の御心がどのようなものであるのかは、簡単にはわからない。
- 祈りの空しさを覚えるかも知れない。でもこれに負けてはならない。たとえ重荷になるとしても祈り続けることは大切である。神は耳を傾けてくださると信じる。そして重荷を主にゆだねるのである。
- 病気をして、もし治らないのではと考えれば、自分の死を思わざるを得ない。年をとった者の病は、死と隣り合わせの面もある。そのような状態の中にある人が教会の仲間にいる。先日は緩和ケア病棟に入院し、そして召された教会の仲間もいる。死と直面する時は、永遠の命を与え、御国に迎えてくださる神さまに、心の不安や色々な心配をゆだねることが大切と教えられる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>23節。主に従う者を支え、動揺しないように計らってくださる。
- <御父>20節。今も昔もこれからも変わることのない方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>23節。神に重荷をゆだね、祈り続けること。
- <約束>18節。神は私の声を聞いてくださる
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、死の恐怖に襲われている人たちがいます。彼らの恐れに寄り添い、支えてください。特にロシアの攻撃に身の危険を感じるウクライナの人たちを支えてください。
- また病を抱え、死と隣り合わせの人たちのことも覚えます。あなたが寄り添い、励まし、慰めを与えてくださるように祈ります。
- 福音伝道ということを考える時、さまざまな重荷を感じます。牧師が辞任し、無牧となる教会への説教奉仕の機会を与えられました。牧師がいない教会の信徒たちはどんな思いでいるのかと思いますし、伝道がなかなか進まない現実は、小さな教会には存続の危機が襲いかかります。これは祈りの課題として覚え祈っていますが、私の力でどうにかなる問題ではなく、あなたにゆだねるほかありませんね。自分にできることは福音を届けることです。あなたの導きをお願いします。
色々な重荷を抱えていますが、あなたにゆだねます。自分で何とかしようと考え、あなたに祈らない事柄がありましたが、すべて祈るようにしたいと思います。
☆与えられた導き
- ウクライナを覚えて祈り続ける。
- 重荷はすべて、ゆだねて祈り、必要な行動をする。