2025年11月7日
(内容)
- 私たちは誰を恐れるべきなのか。地獄に投げ込む権威を持つ方を恐れるべきである。
(黙想)
- 4節で、イエスは「友人であるあなたがた」と言う。イエスが人に向かって、自分の友人と言うことは少ない。誰のことを指しているのか。
- イエスは誰を恐れるべきかを教える。体を殺しても、それ以上何もできない者たちは恐れる必要はない。これはこの世の権力者を指す。キリスト教を迫害する者たちを指す。私たちが自分の身を考える時、恐れを与えるものを指す。
- しかしそのような者たちを恐れる必要はない。なぜか。私たちを殺すことはできても、それ以上のことはできないからである。むしろ殺した後で地獄に投げ込む権威を持っている方を恐れなさいと言う。
- 人は死んで終わりになるわけではない。死んでどうなるのか、それが大切である。この世でどんなに繁栄しても、地獄に行くなら意味がない。大事なのは、死んでどうなるかである。この箇所では、最後の審判とか、死後のことについても明確な教えはない。イエスの時代、人々は、死後の世界を信じていたと思われる。死後の世界、人の行方を決める方を恐れよ、とイエスは教える。
- さらに恐れる理由として、神は、安い値段で売られている雀の一羽さえ忘れることはない。あなたがたは勧めよりもまさった存在である。神はなおさら、あなたがたのことをお忘れになることはない。神はこのような方であり、恐れるべき方であると教える。この神が死後の行方を定めるお方なのである。
- 普通の信仰者として信仰のゆえに殺されることを受け入れることは簡単なことではない。殉教しても神の国に迎えられるとの信仰が必要である。あるいは、信仰を貫くために自分の立場を悪くすることもある。保身に走り信仰者としての歩みを歪めるのか、信仰者の歩を貫き、自分の状態を悪くすることもある。
- 自分がどうなろうと、神は、私たちのことを覚えてくださる神であることをしっかりと覚えたいと思う。これが大切な信仰である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>恐れるべき方。
- <御父>信じる者を覚え、顧みてくださる方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>保身に走らず、信仰を貫くことが大切である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
- あなたは私たちを顧みてくださる方と教えられました。今朝、夜明け前の目覚めの中で、悪魔の攻撃を受けました。信仰を揺さぶられました。死はすべての終わりだ、信仰など無意味だと攻撃されました。しかし私は御言葉に立つと攻撃を跳ね返しました。私には弱さがあることを覚えます。今日の聖書から、私は、神の御手の中にあることを教えられました。
- 使徒パウロが、何ものも神の愛から私たちを引き離すことはできないと教えています。
ローマ 8:38~39
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
- 励みとなる聖句です。今日はこの聖句をできたら暗唱したいと思いました。悪魔の攻撃が来た時は、この御子とあをもって反撃したいと思います。また祈りの時、この聖句を唱えることにします。この聖句を印刷し、目の前に貼ることにします。
- 今日も導きを感謝します。
☆与えられた導き
- ロマ書の言葉を印刷に目につく場所に貼る。