列王記下 13章14~19節

2017年10月2日

(内容)

イスラエルの王ヨアシュは、預言者エリシャが死の病を患っていると聞き、エリシャを見舞いました。彼は「わが父よ、わが父よ」と泣きました。するとエリシャは、窓を開けさせ、矢を射るように命じます。王が矢を射るとエリシャは「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢、あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす」と語りました。さらにエリシャはヨアシュに矢を持ってこさせ、「地面に射なさい」を命じます。王は三度矢を射てやめました。これはエリシャを怒らせました。

(黙想)

  • ヨアシュがエリシャを慕う気持ちがあったことに驚きます。聖書は、ヨアシュとエリシャの関わりについては何も書いていません。
  • エリシャは窓を開けさせ矢を射ることをヨアシュに命じました。ヨアシュが矢を射ると、「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢、あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす」と語りました。アラムとの戦いに勝利するとのメッセージがヨアシュに与えられます。ヨアシュもそう受けとめたと思います。
  • それからエリシャは、「地面に矢を射よ」を命じます。ヨアシュが三度矢を射るのをやめると、「あなたは五度、六度と矢を射るべきであった」と怒ります。そうすればアラムを滅ぼし尽くすことができたのに、と告げます。さらに「今となっては三度しかアラムを打ち破ることはできない」と告げます。
  • 地面に向けて矢を射ると命じられたとき、これにどんな意味があるとヨアシュは考えたのか分かりません。意味があるようには見えないので、三度でやめたのでしょうか。その結果、アラムを滅ぼし尽くし、アラムに悩まされることはなくなるという神さまの祝福を受け取り損ねました。
  • ヨアシュがエリシャに「地面に矢を射ることにどんな意味があるのですか」と尋ねたらどうなったのかと思います。意味を教えられれば、ヨアシュは何度も矢を射たと思います。それとも、地面に矢を射ることはアラムに対する勝利を意味していて、ヨアシュはそれを悟るべきであり、矢を何度も射るべきであったのでしょうか。自分がヨアシュだったらどうするだろうかと考えさせられます。エリシャは神のみ心を告げる人物です。
  • 地面に矢を射る前に、窓から弓を射た時、その矢はアラムに対する勝利の矢とエリシャは語りました。悟るべきであったのかもしれませんね。一つ一つの事柄の意味を見過ごしてはならないと教えられます。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)神はエリシャを通して祝福を告げる方。
☆神が求める私たちの生き方
  • (警告)事柄の意味を見過ごしてはならない。窓から射た矢についてエリシャはアラムに対する勝利の矢と言ったことをヨアシュは心に留めるべきであり、地面に何度も矢を射るべきであった。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、あなたはエリシャを通して、ヨアシュに導きを与えようとしました。アラムに対する勝利を与えようとしました。ヨアシュは、地面に矢を何度も射ることに意味を見出せなかったのかもしれません。エリシャに言われたので、三度までは矢を射ました。でもそれ以上はしませんでした。神さまの導きが、神ご自身から直接具体的に与えられれば、よいなと思います。しかし直接与えられることは、恐ろしいことです。自分がしたくないことを「しなさい」との神の命令が直接与えられたら困ると思います。
  • 神さまの導きは、与えられたとき、それを神の導きを信じるかどうか問われるようなかたちで与えられるように思います。こうして聖書を読み、神さまの導きを求めて祈り、神さまの導きが与えられたと信じているわけですが、これが本当に神の導きなのか、ディボーションで神の導きを受け取ることができるっていうのは、自分の思い込みではないのか、続けることに意味があるのだろうかと思ったりします。人の目には、愚かに見えるかもしれませんね。
  • でもヨアシュは矢を射るのをやめるべきではありませんでした。五度も六度も射るべきでした。ディボーションを通して与えられた導きと自分が考えるのは、思い込みかもしれません。でも聖書が神の言葉であるなら、そして神さまが語られる神さまであるなら、神の導きを信じることもできますね。信じたからには、途中でやめてはいけない、と思います。ヨアシュを反面教師にして、私はディボーションを続けることとします。
  • そもそも私がディボーションを始めたのは、神の導きと言えば導き、偶然と言えば偶然です。友人の牧師からある超教派の集会に誘われたことがきっかけでした。誘われなければ、デボーションをしてはいないと思います。この友人の誘いをどう受けとめるのか。そんなこともあったと見過ごすのではなく、そこに神さまの導きがあったと受けとめます。
☆与えられた導き
  • ディボーションを続ける。

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