第二コリント 4章7~12節 並外れて偉大な力

2021年7月28日

(内容)

  • パウロは福音という宝を土の器である自分は持っていると語る。福音は並外れて偉大な力を持つと語り、自分の証しをする。

(黙想)

  • パウロは福音は「並外れて偉大な力」を持つと語る。物理的な力は測ることができる。物理的な力の大きさについては、イメージを持つことができる。しかし福音がもつとされる霊的な力は測りようがないので、並外れて偉大と言っても、それがどれほどの力なのか分からない。たとえば一人の人間を回心させることを考える。身近な家族が信仰を持つように祈り続けてもなかなか教会の礼拝に行かないこともある。このような人が礼拝に行き、信仰をもつようにさせる霊的な力、神の力があるなら、それはどれほどの大きい力なのか。
  • あるいは友人を気軽に礼拝に誘い、その友人が礼拝に出席を続け、半年ほどで洗礼を受けたとする。この友人を変えた神の力はどれほどの大きさのものなのか。
  • 福音が持つ霊的な力は場合によって小さいこともあり、また大きいこともあるだろう。パウロはここでは「並外れて偉大」と語る。パウロはどう感じて、このような言葉を使ったのだろうか。パウロ自身はキリストを宣べ伝える者へ変えられた。しかも宣教に伴うどんな困難も避けることなく逃げることなく宣教した。彼にとってそれはイエスの苦難にあずかることであり、困難な事態を乗り越えさせる神の力の経験は、キリストを復活させた神の力を経験することでもあった。クリスチャンを迫害していた者をキリストに宣べ伝えるように変える力、霊的な力はどれほどの大きさのものなのか。そしてその宣教を支える神の力はどれほどのものであったのか。パウロは並外れて偉大と感じていたのではないか。
  • 昔、神はエジプトでさまざまな奇跡を行い、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放させた。この奇跡は目に見えたので、信仰の目で見れば、神の偉大な力ということができる。一人の人間の歩みを変えさせる神の力を「偉大」と呼ぶことはできるのか。
  • 第二コリントの1章で、パウロは、「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」と語り(1:10)、パウロは神のみ業を体験している。神のみ業が外的に現れれば、事柄によってはその神の力を偉大ということはできるかも知れない。
  • 「並外れて偉大」という言葉を聞くと、そのような力が自分に働くことがあるだろうかと疑問に思ったりする。自分にはそんな偉大な神の力は働かないだろうと思うと、この神の偉大な力は自分とは関係のないものになってしまう。
  • 並外れて偉大な力が自分に働くとして、それはしばしば働くことなのか。人生に1回しか経験できないものなのか。どうなのだろう。
  • 神の力の大きさについてはこだわらない方がいいかもしれない。大事なのは神の力を信じ、神の力の限界を認めないことである。
  • パウロは自分の宣教における経験を語る。行き詰まっても途方に暮れても失望しない。虐げられても神に見捨てられないし、打ち倒されても滅ぼされない。すさまじい経験をしている。パウロは神の力を信じている。パウロは洗礼を受けた者はキリストと共に死に、キリストと共に生きると語り、信仰者の霊的変革を語る。このような内面的なことだけではなく、宣教においても、パウロはキリストの死と復活にあずかっていると語っている。
  • この身にイエスの命が現れる。これが並外れた神の力なのかも知れない。キリストの命が働く。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>父なる神の力は偉大である。神は力をもって、私たちを導く
☆神が私たちに求める生き方
  • <模範>パウロはの歩みは、イエス・キリストと一つになる歩みである。キリストの苦難の死と一つになり、キリストの復活と一つになる歩みである。キリストの命が現れることに信頼する歩みである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、パウロはイエス・キリストに出会い、キリストを信じ、キリストを宣べ伝える者とされました。キリストは、彼のうちに生きて働く方でもありました。彼にとって生きることはキリストでした。キリストを知ることのあまりの素晴らしさに、彼は自分にとって誇りとなるようなことがゴミ、屑に等しいと語りました。
  • キリストは苦難の死を遂げましたが神さまは復活させました。パウロにとって宣教において困難を味わうことはキリストの苦難を味わうことであり、それは苦難を越えて彼の働きを導く神の力を経験することであり、それはキリストの復活と一つになることでした。
  • 私の信仰の歩みはパウロの生涯のような波瀾万丈のものではありません。でも困難はありましたし、あなたの導きの経験しました。そして今パウロのことを読み、福音を伝え続けることの大切さを思いました。宣教は努力すれば必ず成功するというものではありません。しかし努力しなければ目的は達成できません。忠実に務めを果たし続けることの大切さを思います。
  • 牧師の働きから引退した者としては、時間のゆとりがあるので、聖書の深みを追求したいと思います。この箇所でもパウロは「並外れた神の力」と書いています。これをどう理解したらよいのか、分かりません。聖書には分からないことが多いです。少しでも解明し伝えることができたらと思います。
  • 今日は、この箇所の注解書を読んでみたいと思います。
☆与えられた導き
  • この箇所と扱う注解書を読む。

 

 

 

 

 

 

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