2021年7月16日
(内容)
- 私たちは主の霊の働きにより、主と同じ姿に造り変えられていく。
(黙想)
- 私たちが主と同じ姿に造り変えられていく姿は誰に見えるのか。それは神さまの目に見えると考える。人の目に、主と同じ姿に変えられていると分かるだろうか。わからないと考える。
- イエスは地上を歩まれた。誰もイエスをメシアだとは認めなかった。イザヤ書53章にあるように、主と同じ姿は「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」のではないか。
- 病気を癒やし悪霊を追い出す主の姿は、目覚ましいものがあるが、それはイエスの真の姿を映してはいない。
- 大事なことは主の霊の働きを受けること。主の霊の働きを求め、主の霊の働きを受けて主と同じ姿に変えられていく。
- 今僕が願う主と同じ姿、それは福音を伝える主の姿。福音を届ける宣教者。牧師を引退し、教会の働きから退いた。しかし、今年は説教奉仕の機会を与えられている。4回。この4回において、福音を明確に伝える働きをしたい。福音を聞く喜びを会衆に与えたい。そして神さまの栄光を現すことを願う。切なる祈りが求められる。祈りつつ励みたいと思う。
☆与えられた導き
- 福音を伝えることができるように祈る。祈りを文章に書いて、日々祈っていく。