ローマ 7章7節~12節 罪により死んだ私

2024年1月17日

(内容)

  • わたしはかつて律法にかかわりなく生きていましたが、掟が登場した時、罪が生き返って私は死にました。

(黙想)

  • この段落は「わたし」が主語として語られている。9節で「わたし」はかつては律法とかかわりなく生きていたとある。律法とかかわりなく生きているのは、異邦人である。ユダヤ人でも律法を守る意識がなく生きていた人も含むことができる。
  • 「掟が登場した時」。これは律法を意識して守ろうとしたことを意味する。律法を意識するとは、律法を守れない自分の罪を意識することである。律法を守りたくないと思う自分の罪を意識することである。

ローマ 3:20
律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

  • 罪の自覚が生じる。その時、罪が生き返るとパウロは語る。律法を知らない人たちは、実際に律法に逆らうことをしていても、自分が罪を犯しているとは思わない。罪を犯していると自覚はしない。自覚のないまま罪を犯している。だから霊的勢力としての罪は、この人たちに働きかけることはしない。罪は死んでいるに等しい。働きかけないのだから。つまり「律法がなければ罪は死んでいるのです」(8節)。
  • しかし人が律法を意識するや、罪が生き返り、罪を犯すように働きかける。律法がむさぼるなと教えれば、罪はあらゆる種類のむさぼりを「わたし」の内に起こした。そして「わたし」は、むさぼり、罪を犯す。その結果「わたしは死にました」(10節)。11節では、「罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです」。つまり罪は掟によって「わたし」を殺したとある。
  • 律法を自覚するや「わたし」は、罪によって殺され、死んだ。どういうことか。肉体的に死ぬわけではない。神学的には霊的な死という。

エフェソ2:1
さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。

  • この聖句はロマ書と同じことを語っている。

エフェソ 2:2
この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。

  • エフェソ書では、この世を支配するもの、不従順な者たちの内に今も働く霊に従いとある。これは聖書が悪魔とかサタンとか呼ぶ存在を意味する。このような悪しき力に従い、過ちと罪を犯し死んでいた、と語る。

コロサイ 2:13
肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し

  • 罪の中にいて死んでいたとは、神の怒りを受けて滅ぶべき者であることを意味している。キリストに救われてかつての自分を顧みる時、自分は死んでいたと気づく。
  • 放蕩息子が家に帰ってきた時、あの父親は兄息子に語った。

ルカ 15:32
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。

  • 「死んでいた」とは、「神から離れて生きている」ことを指す。羊飼いのもとを去って見失われた羊、迷子になった羊を指す。

ヨハネ黙示録 3:1
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。

  • 神の目から見て、罪の中にいる者は死んでいるのである。神との交わりの中にいない者は神の目には死んでいるのに等しい。でも人は自分が死んでいるとは思わない。
  • 人はいつ自分が死んでいると思うのだろう。律法を知らない世の多くの人々は自分が死んでいるとは思わない。自分が死んでいると思う人は、律法を知り、自分の罪を知るに違いない。ただ自分の罪を知るだけではない。少なくとも、このままの自分でいいとは思わない。このままの自分でいたくないと思うに違いない。
  • 僕の場合はどうか。死の恐怖と空しさに支配された人生を生きていきたいとは思わない。死の恐怖と空しさに支配された人生は死んだに等しいと言える。今、信仰に生きることができて感謝している。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>罪はわたしを殺す。罪の中に生きている私は死んでいる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、今日も大切なことを教えられて感謝です。「掟が登場した時、罪が生き返って、わたしは死にました」とあります。また「罪は掟によって、わたしを殺しました」とあります。あるいは「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです」とあります。
  • この「死んでいた」とはどのようなことなのか、思いめぐらすことができ感謝します。罪を犯す者はあなたの目に死んでいるのですね。あなたの目に死んでいる者は行き詰まり、あなたのもとに立ち帰ることを思います。主イエスの語られた放蕩息子の物語は、死んでいた者が生き返る物語です。それは父のもとを離れた息子が父の元へ戻る物語でした。
  • 思い返せば、私自身も行き詰まりを覚えていました。その時の状態に戻りたいとは思いません。私も死んでいたのだと思います。イエス・キリストを信じ、生きる者となったことを感謝します。今日は讃美歌502番「いともかしこし」を歌い、あなたに感謝し、賛美を献げます。
  • また罪に死んだという聖句の意味を証しと共にブログに書きたいと思います。今日の導きを感謝します。
☆与えられた導き
  • 讃美歌502番で神を賛美する。
  • ブログに証しを書く

 

この記事を書いた人