列王記上 10章

2017年4月20日

(内容)

シェバの女王がソロモンを訪ね、ソロモンの知恵を試したという物語です。シェバの女王が浴びせたどんな質問にもソロモン王は答え、その知恵に女王は驚嘆したという物語です。そしてソロモンに知恵と富を与えた神をたたえています。

(黙想)

ソロモンの知恵については、列王記上の3章に書かれています。ある夜、神が夢の中でソロモンに現れ、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と神は告げます。彼は神に「聞き分ける心」を願い求めました。知恵を求めたソロモンの思いをよしとした神はソロモンに、彼が求めなかった富と栄光を与えると答えました。シェバの女王は、ソロモンの知恵に驚き、その富の豊かさに驚き、それを与えた神をたたえたのです。

僕が心惹かれたのは、シェバの女王の次の言葉です。

「わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。わたしは、ここに来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じてはいませんでした。しかし、わたしに知らされていたことはその半分にも及ばず、お知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えています」(列王記上10章6~7節)。

そこで僕は思います。新約聖書から神の国について読むことができます。葬儀なのでよく引用し、語ったのがヨハネ黙示録の次の言葉です。

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(21:3~4)。

ここには神の国がどのようなものか、イメージで語られています。迫害の中にある信仰者に対する希望を語る目的で、神の国のイメージを描いています。迫害の中で信仰を貫く人たちに対して、神さまが豊かなに慰めてくださるというイメージです。聖書は神の国について語っています。今の私だったら、神の国は人種も民族も違う人たちが愛と平和に活きる神の国をイメージします。それは私が描く神の国の像であり、私の想像です。それが本当かどうかは分かりません。

私は神の国について確かな希望を抱きたいと考えています。そのためには、神の国のイメージを描きたいと考えています。そしてシェバの女王の言葉は、一つのイメージを与えてくれました。神の国に迎えられた時、私は次のように告白する希望を与えられると思いました。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か

☆神が望まれる私たちの生き方
  • (励まし)「わたしに知らされていたことはその半分にも及ばず、神の国のすばらしさは、聖書から聞いていたことをはるかに超えています」。神の国の実態は分かりませんが、このような告白ができる。

(神の導き)

☆祈り

☆(受け取った導き)
  • 祈りの中で、上記、告白をする。

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