ローマ 11章11~16節 万事を益とする神の計画

2025年9月12日

(内容)

  • ユダヤ人はつまずきの石につまずき、イエスを信じなかった。彼らは滅びる者となったが、倒れてしまったのか。彼らにはまだ救われる可能性がある。

(黙想)

  • パウロは、ユダヤ人言い換えるとイスラエルの民の救いを願っている。でも彼らがイエスを信じなかったことは事実であり、彼らは罪の故に滅びるものとなっている。彼らは倒れてもう立ち上がることはないのか、と問う。「決してそうではない」と語り、イスラエルの民の救いの可能性を語り始める。
  • イエスはイスラエルに対して福音を宣べ伝えた。でも彼らは信じなかった。そして福音は異邦人に宣べ伝えられることとなった。パウロは異邦人への使徒であった。ここでパウロは、異邦人がイエス・キリストを信じるようになったのは、ユダヤ人、イスラエルの民に妬みを起こさせるためであったと書く。妬みの結果、彼らもキリストによる救いを求めるようになるのだと言う。その結果、異邦人もユダヤ人も共に救いに入れらればどんなんか素晴らしいことかと書く。
  • 福音が宣べ伝えられる時、信じる人と信じない人がいる。それ故、神の民であったユダヤ人も、異邦人もキリストを信じることになることはすばらしい。
  • ユダヤ人はイエスを信じないという罪を犯した。でもその結果、異邦人に福音が宣べ伝えられ、福音を信じる異邦人が生まれた。今や世界中に福音を信じる人たちがいる。ユダヤ人の罪は世の富、異邦人の富と言われる。ユダヤ人の罪のおかげで異邦人は福音を信じることができた。これは祝福である。それでユダヤ人の罪は「富」であると言われる。
  • パウロは異邦人への使徒となった。異邦人が福音を信じ、ユダヤ人が妬みを感じて福音を信じるようになれば、パウロからすれば同胞が救われることになる。パウロにとって異邦人への伝道は、ユダヤ人伝道につながる。
  • 福音は、罪を犯す人間と神との和解をもたらす。ユダヤ人は神が送られたメシアを信じないという罪を犯したが、その結果、異邦人が福音を信じるようになった。ユダヤ人の罪は神と世界(異邦人)の和解をもたらした。
  • そこで、もしユダヤ人たちが妬みを起こし、福音を信じるようになれば、なんと素晴らしいことか。それは死者の中からの命、ユダヤ人の再生となり、素晴らしいことであるとパウロは書く。
  • ユダヤ人に福音は宣べ伝えられたが、彼らは信じなかった。福音は異邦人に宣べ伝えられ、異邦人は信じた。神は、異邦人に対して妬みを起こさせ、ユダヤ人を救おうとされている、とパウロは理解している。神は万事を益とする方であり、ユダヤ人の罪は、異邦人の救いを導き、これはやがてユダヤ人の救いをもたらす、それが神の計画でもあるとパウロは書く。
  • 現実に目を向けると、ユダヤ人は、キリストによる救いを信じている異邦人を見て妬みを起こしているのか。起こしているようには見えない。残念ながら、異邦人世界にいるキリスト者の有り様は、ユダヤ人に妬みを起こさせてはいない。
  • 終末が到来することを考えるのなら、ユダヤ人が悔い改めることが起きてよいと考える。福音を宣べ伝える教会は、妬みを起こせていない現実を知る必要がある。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神の民イスラエルを決して見捨てない方。
  • <御父>福音を信じた異邦人に対して妬みを起こさせ、ユダヤ人が福音を信じるように願う方
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>福音に歩み、ユダヤ人に妬みを起こさせること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、異邦人伝道が進み、福音に生きる異邦人を見てユダヤ人が妬みを起こし、福音を信じ、イエスを信じるようになるのは神の計画であるとパウロは語ります。
  • これまでの歴史の中で、ユダヤ人に妬みを起こさせたことがあるのかとと思います。たしかに福音は世界に宣べ伝えられ、地球上の多くの地域に宣べ伝えられました。そして信じる者たちが誕生しました。しかし世界には争いや混乱があり、異邦人世界がユダヤ人に妬みを起こさせるような状況ではありません。キリスト教的価値観を持つ人たちは増えましたが、福音を信じ福音に生きる人は多くはないと思います。ヨーロッパのようなキリスト教が普及した地域では、礼拝に参加する人が減少していると聞きます。福音はまだまだ宣べ伝えられなければならない状況です。
  • もし異邦人のキリスト者の生活が、ユダヤ人に妬みを起こすとするなら、そのキリスト者の周りにいる異邦人が福音を信じてもよいのではないかと思います。それが十分できていないなら、ユダヤ人に妬みを起こさせることはむずかしいと考えます。
  • 天の父よ、あなたはどう思われますか。私たちキリスト者が聖なる生活を目指すことが大切と考えます。聖なる生活を促すために、福音がきちんと宣べ伝えられなければならないと考えます。
  • また聖書にこのようなことが書かれていることを知らないクリスチャンも多いと思います。福音のすばらしさを伝えるためには、キリスト者たちが聖なる生活を営むようになることが大切です。このことは一朝一夕には、実現しません。
  • 今日は、キリスト者が聖なる生活を目指すようになることを祈りたいと思います。祈り続けたいと思います。今日のデボーションを感謝します。
☆与えられた導き
  • キリスト者が聖なる生活を目指すように祈る。

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