2025年9月16日
(内容)
- 祈りをかなえてもらうために求めることの大切さを教える。時にはしつこい祈りになることもある。
(黙想)
- この段落は祈りについての段落である。5~8節は、執拗に祈り求めることの大切さを教えている。簡単にあきらめてはいけない。9~10節は求めれば与えられるとの約束である。祈りはかなえられると信じることが大切である。祈りと信仰は不可分である。この二つの段落は、一つの段落と考えることもできる。求めれば与えられるが、時に執拗に祈ることも大切であると教えていると理解できる。
- イエスはマタイ福音書6章で異邦人のようにくどくど祈ることを戒めた。異邦人は、くどくど祈れば聞き入れられると思っている。ルカにおける執拗な祈りと何が違うのか。異邦人の場合は、くどくど祈れば祈りはかなえられると考えている。ルカの場合は、あきらめないで忍耐強く祈れと勧めている。祈る者の気持はかなり違う。くどくど祈れば祈りはかなえられるという考えは、神を自分の思い通りに動かすことができるという高慢な考えが潜んでいる。執拗な祈りは、忍耐強く祈ることを教える。我々が祈り願うことがいつ実現するのかは、神の御心次第である。祈りにおける主導権は神にあり、すぐに祈りが聞かれる場合もあるし、忍耐強く祈らなければならないこともある。
- 11~13節は、天の父は求める者に聖霊を与えてくださるとの教えである。突然、聖霊についての言及がなされている。しかも神は求める者にさらによいものを与える父なる神である。
- 12章で聖霊に対する侮辱は赦されないこと、また弟子たちは捕らえられたとしても、聖霊が語るべき言葉を与えるとイエスは教えている。昇天前のイエスは、父なる神の約束として聖霊が与えられるのを待つように語っている。
- 忍耐強く祈ること、祈りはかなえられるとの約束を信じて祈ること、聖霊を求めて祈ること、3つのことが教えられている。聖霊については、ペンテコステの時ペトロは、イエスを信じて洗礼を受けるなら賜物として聖霊を与えられると教えている。キリスト者は賜物として聖霊を与えられている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>神は求める者にさらによいものを与える慈しみ深い父である。そして聖霊を与える父である。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>忍耐強く祈ること
- <勧め>求める者は与えられると信じて祈ること
- <勧め>神は聖霊を与えてくださると信じて求めること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は祈りについて教えられました。感謝します。
- 私は老いの中に生きています。迫り来る死を意識し、キリスト者として抱く希望を明確にしたいと考えてきました。死を越える希望を語る聖句を見つけ、それを思いめぐらし、希望の糧としたいと願っています。今、聖句について思いめぐらしたことをブログに書いています。これまでブログに書いたものを印刷して、いつでも読めるようにしたいと思います。
- また老いは具体的なものです。心身の衰えは、私たちを介護を必要とする者にします。それは生活に変化をもたらします。また伴侶が亡くなれば、残された者は寂しさを、また一人暮らしの生活の重荷を背負うことになります。このことを考えて思い煩ってはなりませんが、気になります。今できることは、あなたに信頼する信仰を確かにし、あなたにゆだねる信仰に生きることです。
- 今朝詩篇78編を読みました。この詩篇は、エジプトを脱出した民が荒野の困難な旅の中で、神に信頼せず不信仰に陥ったことが書かれています。今一度この詩篇を読みます。
☆与えられた導き
- 死を越える希望を語る聖句黙想を印刷する。
- 詩編78を読む。似た詩篇を探す。
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出エジプトに触れる詩篇
詩篇78、81、105,106,135,136
