2025年10月14日
(内容)
- 目が澄んでいれば、全身が明るい。全身が明るいか否か、調べなさい。
(黙想)
- 33節。日常生活で当たり前のことを書く。灯火をともすのは、周囲を明るくするためである。だから灯火を穴蔵の中や升の下に置く者はいない。
- 34節は、比喩である。目は体の灯火であるという。目が澄んでいれば、全身が明るい。目が濁っているとは、灯火が十分光を放っていないことを意味する。目が澄んでいるとは、物事を正しく見ることができるという意味と理解する。物事を正しく見ることができるなら、健全な判断を行い、適切な行動ができる。このことを全身が明るいと比喩的に語られる。
- 35節。あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。
- 自分を吟味することはむずかしい。自分の外に判断基準をもたないと、自分を吟味することは主観的になる。客観的に吟味するならその基準とは何か。キリスト者の場合は、神の言葉と言ってよいと思う。
詩篇 119:105
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。
- 今日の聖書は、自分にとって何が灯火なのかを考えさせられる。目が澄むのは何によってかを考えさせられる。神の言葉、それが灯火であると理解したい。神の言葉は、文字として聖書に書かれている。文字を文字通り読むだけではなく、文字の背後にある神の御心を読み取ることが大切である。次の段落では、ファリサイ派、律法学者が登場するが、彼らは神の言葉を文字通りに受け取るだけである。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生きかた
- <勧め>自分の中にある光が消えていないかどうか調べる
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を思い巡らすことができ感謝します。今日は、自分の中にある光が消えていないかどうか調べるようにとの促しを受けました。詩篇にあるように、神の言葉が灯火であり、神の言葉によって歩んでいるかどうかを調べるようにとの教えを受けました。
- 自分としてはこうして、聖書を黙想し、聖書の言葉を日々の糧としているので、神の言葉は私の歩む道を照らす灯火になっていると信じます。私が十分に御言葉を受けとめているかどうかは分かりません。不十分な歩みかもしれませんが、こうしてディボーションできることを感謝しています。これからも続けていきます。
- あなたは「神の言葉」を私たちに与え、私たちを生かしてくださる方です。私は自分の力で生きるものではなく、あなたの御言葉によって生きる者です。
- 今、聖書通読をしています。聖書全体は何を語っているのか、把握したいと思っています。私にとっては、これは新鮮で充実感をもたらしてくれます。まずはこれを続けていきたいと思います。続けられるよう導いてください。今日は、この聖書通読が続けられるように祈ります。
☆与えられた導き
- 朝の聖書通読が続けられますように