2025年9月24日
(内容)
- イエスは悪霊を追い出した時、悪霊の頭ベルゼブルによって悪霊を追い出していると非難された。しかし私は神の指で悪霊を追い出しており、神の国はあなたがたのところに来ているのだと語られた。
(黙想)
- 現代の私たちからすると悪霊をどう考えたらよいのかという問いがある。現実の信仰生活で悪霊を問題にすることはほとんどない。しかし、悪魔、サタンの働きについては考えることができる。
- この箇所で悪霊は言語障害を起こさせており、人は口が利けなくなっていた。しかし悪霊を追い出すと、ものを言い始めた。悪霊は人を支配し、その人を不自由にする。現代、様々な障がいを持つ人がいるが、それが悪霊のせいだと考え、悪霊を追い出そうと考える人はほとんどいない。
- 聖書は、悪魔、サタンの働きとして、信仰者を信仰から離れさせようとする働きをすると教えている。イエスは、悪魔の働きを打ち砕く方である。イエスにより、悪魔の働きを打ち砕くことができるのは、神の国が私たちの所に来ているからである。悪霊の働きを悪魔の働きと置き換えて今日の聖書を思いめぐらす。イエスは、悪魔の働きを打ち砕く方と理解する。イエス自身、荒野で悪魔の誘惑を受けたが、これを撃退した。
ヤコブ 4:7
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。ペトロ一 5:8~9
身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。
- イエスは語る。神の国はあなた方のところに来ている。キリスト者は、神の御支配に生きることができるので、悪魔の攻撃に勝つことができる。しかし悪魔は繰り返し攻撃してくることも事実である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>悪魔に勝利された方
☆神が私たちに求める生きかた
- <勧め>悪魔の攻撃は拒否すること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝です。悪霊に取り憑かれて口がきけなくなっている人からイエスは悪霊を追い出し、その人は話すことができるようになりました。私たちを支配し、苦しめるものからイエスは私たちを自由にしてくださる方です。
- 悪魔は私に対して、疑いを持ってきます。私はこれまで、そのような場合、疑いをすぐにはねのける信仰を求めていました。悪魔が疑いをもってきても拒み、動揺しない信仰を求めていました。しかし最近、動揺する自分の信仰の弱さを受け入れ、「信じます。信仰のない私を助けてください」と祈り、信じる道を歩む信仰者でいいのではないかと思うようになりました。聖霊に満たされ、疑いを拒むような堅い信仰を持てればいいのかもしれませんが、私にはそれは難しいように思います。
- ヘブル書には、信仰とは望んでいることを確信することであると教えられます。確信するとは、疑いを持たないことなのでしょうか。疑いが来たなら、なお信じることを選ぶ選択をすればよいのではないかと思います。そうすれば自分の信仰の弱さに対する後ろめたさがなくなり、平安になります。弱さの中に力は発揮されると聖書にあります。
- 老いの中にあって、強い信仰を求めるのはしんどいです。「キリストの力がわたしの内に宿るように、わたしは大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(コリント二12:9)。弱さを受け入れて生きるように勧めるヘンリ・ナウエンの本を今日も読みたいと思います。
☆与えられたみちびき
- ナウエンの本を読む
