聖書 ローマ 12章1~2節 神に喜ばれるいけにえ

2025年11月4日

(内容)

  • パウロは、神の憐れみを受けたあなたがたは、自分のからだを神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさいと勧める。

(黙想)

  • 1節。 「神の憐れみによって勧める」。
  • パウロは私たちにあることを勧める。私たちはその勧めを受け入れなければならないのか。パウロの勧めが自分にとって役に立つから受け入れるのか。それとも受け入れても受け入れなくてもどちらでもいい勧めなのか。私たちは何を根拠にパウロの勧めを受け入れるのか。
  • パウロは、私たちが神の憐れみを受けているから、だから、その勧めを受け入れなさいと語る。私たちは、神の憐れみを受けているから、その勧めに従う。神の憐れみを自分は受けていると感じることがないなら、パウロの勧めを受け入れることはできない。
  • 神の憐れみを受けているとは具体的にどういうことか。ロマ書の3章から8章でパウロは書いてきた。
  • キリスト者はイエス・キリストを信じ義とされていること。洗礼を受けキリストに結ばれ、キリストと共に死にキリストと共に生きていること。古い人が死んで、新しい人として自分が生きていること。罪から自由にされて生きていること。聖なる者とされ、聖なる生活を送る者とされていること、神の子とされ、神の子として生きるようにされていること。これらのことをロマ書の中でパウロは語ってきた。これらがすべて神の憐れみによるとパウロは言う。あなたがたは神の憐れみを受けている、だから私は勧めをする。パウロはこのように語る。
  • 「自分のからだ」とある。「からだ」は目に見える具体的なものある。「自分のからだ」とは、自分の目に見える生き方、歩み、自分の存在を指す。自分の歩みを神に喜ばれる聖なるいけにえにするという。自分自身を神へのいけにえ、献げ物とする。自分はもはや自分のものではなく、神へのいけにえ、献げ物である。自分の歩み、自分の人生を神への献げ物とするようパウロは勧める。
  • これが「私たちのなすべき礼拝」であるとパウロは言う。自分自身を神への献げ物とする、それが私たちのなすべき礼拝である。日曜の礼拝に参加するとき、私たちは自分の存在と時間を礼拝の場において神に献げている。神に献げるのは、日曜の礼拝においてだけではない。日々の歩みを神への献げ物とするように努めるのである。
  • 2節
  • 自分を神へのいけにえ、献げ物とするためにはどうしたらよいのか。まず、「この世に倣ってはなりません」。この世の人々とは異なる特徴のある生き方をする。キリスト者としての生き方をする。
  • 次に「心を新たにして自分を変えていただき」。私を変えるのは神であるが、私自身も神によって変えられることを願うことが大切となる。神は私たちの自由を重んじられる方であり、私たちを無理やり変えることはしない。
  • 自分を変えていただくにはどうしたらいいのか。「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえる」ことによってである。以前の私は、このようなことをわきまえていなかった。今後はわきまえる人となるのである。これを実行することで私たちは自分を変えることになるし、変えていただくことになる。わきまえて生きるなら、それが自分をいけにえとして献げることになる。
  • では、私たちはどのようにして神の御心を知ることができるのか。第一に、礼拝における説教、聖書のメッセージを聞くことによって神の御心を知ることができる。第二に、私たちは聖書を持っている。聖書を読み、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれることであるのかを黙想する(思い巡らす)中で知ることができる。このような黙想を教会の中で分かち合うことができたら、理解が豊かになる。
  • 説教を聞き、あるいは自分で聖書を読み、思い巡らすことを通して知った神の御心、なすべき善いこと、神に喜ばれること、それを自分の場合、どうすればいいのか。さらに思い巡らす。具体的にこうすればよいと思うものが見つかれば、それを神の導きと受けとめることができる。そしてそれを実践する。それによって自分を神に喜ばれるいけにえ、献げ物とすることができる。私たちに対する神の御心は、善きものであり、それを実行することは神が喜ばれる。それ故、自分に対する神の御心を知ることは大切となる。
  • 聖書を思い巡らす中で、神は私に何をせよと期待しているのかを教えられることが大切となる。私たちは祈りにおいて、神に○○してください、と祈り、神に期待する。他方で、私たちがあまり考えないことがある。それは神も私たちに期待しているということである。神が私たちにしてほしいことを聖書から聞いてそれを実行することである。それが私たちのなすべき礼拝と教えられる。そして神と私、双方が相手の期待に応じることにより、交わりが生じる。信仰とは神との交わりであると教えられる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は、何が神の御心で、何を神が喜ばれるのか、神が認めるよいこととは何かを私たちが知ること、それを実行することを期待する方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神のみ旨にかなうことを行い、自分を神への献げ物として献げること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日の導きを感謝します。私はある時、ディボーションを学びました。ディボーションという言葉は人によって使い方が異なるかもしれません。私がディボーションをどのように考えているのかは、このサイトで紹介しています。そして私はこのディボーションにより聖書を読む生活を続けてきました。聖書を読む中で、「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえる」ように努めてきました。感謝です。
  • 自分のディボーションをインターネットで公開し、一人でも多くの人が神さまの御心を知って御心に生きる人になって欲しいと願っています。神さまがこのサイトを用いてくださり、一人でも多くの人が御言葉に歩み、自分の体を聖なる生けるいけにえとしてあなたに献げることができるように導いてください。
  • 今日は、このようにディボーションの生活を続けることができたことをあなたの導きとして感謝します。また老いの中にありますが、信仰によって老いを生きるために、これからもディボーションを続けますので導いてください。
☆与えられた導き
  • 感謝の祈りをする。
  • ディボーションへの導きを祈る。

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感謝の祈り

 天の父なる神さま、30年近く、ディボーションを続けてきました。自分でも驚きます。あなたの導きと感謝します。日々の生活の中で、これは神さまの導きだと思える出来事もありますし、また聖書の言葉から、これは神さまの導きだと信じ受けとめ、その導きに従うことを通して、私はあなたの導かれてきたと信じます。地道な歩みですが、続けることができたこと感謝です。ディボーションが私の信仰生活を支えてくれました。感謝します。
 また私は老いの中にありますが、聖書は老いた者にも語りかけますから、これからも御言葉に聴いて歩み続けます。死を越える確かな希望に歩ませてください。
イエス・キリストの御名により祈ります。
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