2019年8月7日
(内容)
- 弟子たちは山から下りて、ガリラヤ湖の向こう岸カファルナウムに行こうとして、舟に乗り漕ぎ出した。強い風で漕ぎ悩んでいるところにイエスが現れ、その出現に弟子たちは恐れたが、イエスを舟に迎え入れると間もなく向こう岸に着いた。
(黙想)
- マタイ福音書では、湖上を歩いてきたイエスを見て、ペトロが私も湖上を歩きたいと言いだし、舟から湖へ踏み出すと沈み始め「助けて」と叫ぶエピソードがある。マルコでは、湖上を歩いてきたイエスを見て、弟子たちは幽霊かと思っておびえている姿をありありと描く。
- ヨハネの描写は物静かと言うか、何が起きたかを簡潔に書くだけ。イエスが舟に乗ると風が静まり、「弟子たちは驚いた」とマルコは書きますが、それもなく、舟は向こう岸に着いたとの素っ気ない記述である。この物語を通して、ヨハネは何を伝えようとしたのか。 ヨハネは、恐れた弟子たちに対して「わたしだ。恐れることはない」と語るイエスを描いている。イエスとはどのようなお方か、「わたしだ。恐れることはない」と私たちに語りかけるお方と受けとめることができる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)20節。「私だ。恐れることはない」と語りかけるお方。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、イエス様は「わたしだ、恐れることはない」と語りかけてくださるお方です。今自分は何を恐れているのだろうかと自分を振り返ります。幸いに、私は色々な恐れから自由にされました。感謝です。このイエス様のお言葉は、将来死に直面するときに心の中で反芻したい言葉と受けとめます。自分の死を受け入れるときに聞きたい言葉と受けとめました。
- このことを忘れないためにどうしたらよいでしょうか。一つは祈りのノートに書くこと。もう一つはブログに書くこと。そうすることにしました。イエス様も十字架で死なれたことは、自分の死を受け入れる一つの助けになります。死においてもイエス様に従うからです。それから、奈良高畑教会では、クリスマスに「羊群」という冊子を発行しています。昨年寄稿しましたが、今年も寄稿します。テーマは「死の受容」と題して書きます。そして今日の「わたしだ、恐れることはない」も書いてみたいと思います。
☆与えられた導き
- 祈りのノート、ブログに書く。
- 「羊群」に寄稿する原稿のテーマを「死の受容」とする。