2019年12月17日
(内容)
- 手紙の出だしの挨拶文となっている。使徒パウロからエフェソにいる聖なる者たちへ。
(黙想)
- パウロは、自分が神の御心によってキリスト・イエスの使徒となったと自覚している。「神の御心によって」と考えることのできる根拠は何か。
- パウロはガラテヤの信徒への手紙の中で、こう語っている。「ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時」。
- この啓示がどのようになされたのかはわからない。しかしパウロには何らかの形で神の導きが与えられたのである。そして使徒に導かれたとの確信を持っている。
- 私たちがイエス・キリストを信じ、信仰生活を続けているのは、神の御心によると確信できる根拠は何か。パウロのように神から啓示を受けるようなことがあったのだろうか。人それぞれだろう。
- 自分が信仰者になり、信仰生活を続けているのは、神の御心によると僕は信じる。それは聖書の言葉に根拠がある。この手紙の3~4節には、「神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び」とあり、私たちは神に選ばれた結果として信仰者になっていると僕は信じる。
- 「エフェソにいる聖なる者たちへ」。パウロはエフェソ教会の信仰者たちを「聖なる者」と呼んでいる。パウロのやり方に従えば、私たちも「聖なる者」である。「聖なる」には、他のものと区別されたとの意味がある。他のものと区別されて神に結びつけられたという意味である。この世にいる多くの人たちと区別されて私たちはイエス・キリストを信じる者とされた。だから「聖なる者」と呼ばれている。
- 私たちキリスト者は「聖なる者」である。神に選ばれて信仰者へと導かれ、信仰者としての歩みをするようになった。このことを感謝し、聖なる者らしい歩みを積み重ねていくことが大切だ。
- パウロは、そんな私たちに神とイエス・キリストからの恵みと平和を祈っている。私たちは神の恵みを必要としている存在だ。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御父)神は、お選びになる方である。パウロを使徒に選び、私たちを信仰者として生きるように選ばれる方である。
- (御父)私たちに恵みを与えてくださる方。
- (御父)神には御心がある。つまり神は計画を持っておられる方。
☆神が私たちに求める生き方
- (教え)私たちは神に選ばれた信仰者であり、「聖なる者」である。私たちが聖なる者であるのは、私たちの人格・行動のゆえではなく、神の選びによる。
- (教え)「神の恵みと平和があるように」。私たちはこの祝福を必要とする存在である。私たちが互いにこの祝福を祈り合う存在である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、あなたは御心によって私たち人間と関わられるお方です。パウロを使徒にお選びになり、私たちを信仰に生きるように選び、導いてくださいました。感謝します。
- そして現在の私に対するあなたの御心は何かを考えます。牧師を引退し、今は老いの日々を生きる身です。私には私の生きる場というものがあり、この場に根ざして生きることになります。私が関わりをもって生きる人たちがいます。また引退した身とはいえ、福音を宣べ伝えたいとの思いもあります。
- 私に対するあなたの御心は何なのでしょうか。エフェソの信徒への手紙のデボーションもすることにしましたので、この手紙を通して、あなたの御心を教えてくださるようにお願いします。今日は、「御心を教えてくださるように」と祈ることとします。
☆与えられた導き
- 「御心を教えてくださるように」祈る。