2020年1月9日
(内容)
- イエスは自分の時を悟った。この世を去るときが近づいたことを悟り、最後になすべきことをなさった。イエスは弟子たちを愛し抜き、弟子たちの足を洗われた。
(黙想)
- イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟られた。つまりこの世にいる時間はわずかしか残されていない。弟子たちと一緒にいることのできる時間も限られている。弟子たちに何かを伝えたいとしても、残された時間はわずかで多くのことを伝えることはできない。
- イエスは、父がすべてを自分にゆだねられたことを悟られた。これまでイエスは父のもとで見たこと聞いたことを語り行ってきた。イエスは神のみ心に従ってきた。しかしこの場面では、父はイエスにすべてをゆだねたとある。この世にいる残されたわずかな時間、何をするのかは、イエスの自由であった。
- 我々は、時間というものは、自分に与えられたもの、自分が好きに使ってよいものと考えてしまう。しかしイエスは、神に遣わされてこの世に来たのであり、神の目的に仕える歩みを続けてきた。イエスは自分のしたいことをする人生を送ってきたのではなく、神から与えられた使命に生きてきた。そして今、残されたわずかな時間は、好きに過ごしてよいと神から言われたのである。神はすべてをイエスにゆだねられたのである。
- あともうわずかな時間しか生きられないと思われるとき、我々は何をするのだろうか。何をしてもいい、と神が言われたら、我々は何をするのだろうか。
- イエスは弟子たちを愛し、この上なく愛し抜かれた。イエスが最後のしたこと、それは弟子たちを愛し抜くことであった。弟子たちを愛し抜く行為、それは弟子たちの足を洗うことであった。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>神はイエスにすべてをゆだねられた方。普通、人間が自分の将来を神にゆだねる。
- 逆に、神が人間にゆだねることのあることを知る。考えてみれば、与えられた命、人生をどう生きるのかを、神は私たちにゆだねられているということもできる。
- <御子>地上での残された時間、イエスは弟子たちを愛し、この上なく愛し抜かれた。残された時間に何をするのか。イエスは自分が何のために生きてきたのかを象徴する行動を選ばれた。
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>イエスは自分が何のために生きてきたのかを自覚している。そして残された時間もそのために用いている。自分の人生があと一日となったら、僕は何をするのだろうか。あと一週間だったら、あと一ヶ月だったら、あと一年だったら、何をするのだろうか。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日の聖書で、あなたがイエス様にすべてをゆだねられたことが印象に残りました。イエス様は残されたわずかな時間、何をすべきかを考えて弟子たちの足を洗われました。この行為は、イエス様が何のためにこの世に来られたのかを象徴する行為でした。イエス様は「仕える」ために来られたのですね。罪に支配されて生きている人間を罪から救い、神に仕え、自由に喜んで生きることができるために、私たちに仕えるためにイエス様はこの世においで下さいました。そのことをあらためて思わされます。「仕える」ことの大切さを思います。
- もし私に残された時間がわずかだったと知ったら、私は何をするのかと問いかけられました。あと一日しか生きられないとしたら。一週間しか生きることができないとしたら。一ヶ月しか時間が与えられていないとしたら。一年しか与えられていないとしたら。神さま、あなたは私たちに人生という時間をゆだねられたのですね。
- あと一日しか残されていない時、できることはわずかです。自分だったら何をするかと思います。自分の周囲にいる人たちに対して、何を伝えたいのか。
- 私は、あなたを信じることの大切さ、イエス・キリストを信じることの大切さを伝えたいと思いました。特に孫たちには「人生で一番大切なことは神さまを信じること」とひと言伝えたいと思いました。孫の誕生日が近づいています。誕生カードにこのことを書いてみたいと思いました。導きを感謝します。
☆与えられた導き
- 孫に送る誕生カードに上の言葉を書き添える。
今日の聖書でイエス様は、この世において生きるわずかな時間をあなたからゆだねられました。そして弟子たちを愛し、愛し抜かれ、弟子たちの足を洗われました。残されたわずかな時間に何をするのか、イエスは自分が何のために世に来られたのか、そのことを明確に示す行動を取られました。では私はどうなのかと思います。