2020年4月23日
(内容)
- この福音書が書かれた目的が書かれている。イエスは神の子メシアである、と読者が信じて命を受けるためである。
(黙想)
- イエスはメシア(救い主)として神が、私たちの父なる神であることを示された。イエスを信じ、父なる神を信じる者は命を受ける。このことは3章16節の有名な言葉で言い表されている。
3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
- ここでは命を受けることと滅びが対照されている。滅びは死後の滅びのことであるので、永遠の命も死後の命のことを指していると考えられる。しかしこの福音書は、信仰者は今、永遠の命を与えられていると証しする。信仰者はイエスを信じ永遠の命を与えられており、死を越えて信仰者は永遠の命に生きることが語られている。
- 大切なことは、私たち信仰者は、今、命を与えられて生きているということであり、神が与えてくださった命によって生きているということ。言い換えるとイエスにつながって生きることができるということ。ぶどうの木のたとえ、羊飼いと羊のたとえは、信仰に生きるとは、イエスとつながって生きることであることが教えられる。
- イエスは、言が肉となられた存在。イエスは神の言。信仰に生きるとは、神の言葉によって生きること。神の言葉は言葉で書かれた「教え」ではなく、イエス・キリストが私たちに語りかける言葉である。律法学者はファリサイ派の人々は、神の教えを神と切り離して「教え」そのものにとらわれてしまった。その教えに込められた神の思いを考えることなく、教えを文字通り守ることに終始した。大切なことは教えを守ることを通して、教えた方、神そしてイエスと結ばれて生きることである。
- 聖書を読むのも祈るのも、神を賛美するのも、神に結ばれて生きるからである。新型コロナウィルスの感染のおかげで集会は中止、礼拝はインターネットによるライブ配信。ライブ配信の場合、讃美歌を歌うと著作感が問題になるという。すっかり神さまを賛美することが少なくなった。自分の信仰のあり方を考えるとき、頭中心の信仰なので、信じる心を育てるためには、神さまを賛美することが大切だと思わされる。頭、理性では神の言葉を信頼しているが、肉の性質があるために心が全き信頼を神に献げることにためらいを覚えることがある。「主を賛美するために民は創造された」(詩編102:19)。賛美することによっ神から与えられた命を育てることも必要なのだと思う。神さまを賛美することを教えられたリビングプレイズで神さまを賛美しよう。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、永遠の命を与えられ、その命に生かされていることを感謝します。この命を与えられ、イエス様と結び合わされて歩むことができることを感謝します。今、私自身の信仰の課題として、理性も心もあなたを信頼して歩むことです。肉の性質との戦いがあり、聖霊の導きを受けることの必要と感じています。
- 心を養い育てるために、あなたを賛美することが大切なのではないかと感じるようになりました。牧師を引退してから、賛美することが少なくなったような気がします。かつて自分の信仰が少しずつ確立していった時期があり、その頃はリビングプレイズであなたを賛美していたことを思い出します。エマオ途上の弟子たちがイエス様から聖書の説き明かしを聞いたことを思いだし、あの時、心が燃えていたではないかと語ったことを思い出します。私も心が燃えていたとき、リビングプレイズであなたを賛美していたことを思い出します。
- 信仰の心を養い育てるために、祈る時、ディボーションをするとき、リビングプレイズであなたを賛美したいと思いました。
☆与えられた導き
- ディボーションの前に、祈りの前にリビングプレイズで神を賛美する