2020年4月28日
(内容)
- イエスは弟子のペトロに「私を愛するか」と問う。ペトロが「はい」と答えると「私の羊を飼いなさい」とイエスは命じる。このやりとりが三度繰り返され、最後にイエスはペトロに「わたしに従いなさい」と言われた。
(黙想)
- イエスは三度ペトロに「私を愛するか」と尋ねた。それはペトロが三度イエスのことを否定したからであり、三度「愛する」とペトロは答えた。それはペトロの悔い改めと言える。イエスはペトロに悔い改めを求めた。しかし同時に赦しを与え「私の羊を飼いなさい」と使命を与えている。イエスは罪を犯した者を見捨てる方ではない。悔い改めてイエスに従うことを喜ぶお方である。
- ペトロは「愛するか」との問いに「はい」と答え、それに加えて「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と付け加えている。イエスを愛する気持ちに嘘偽りはないとペトロは告白している。イエスを愛していても、ペトロは恐れにとらわれ、イエスのことを知らないと言ってしまった。「愛するか」と問われて「愛する」とペトロは答えている。イエスは私にも「愛するか」と問われている。私はどう答えるのか。「愛する」と答える。それはイエスを愛していると自信を持って告白できるからではない。イエスから見れば十分ではない愛し方かも知れない。でもイエスを愛することが自分の生き方の基本になっていると僕は告白する。
- イエスは最後にペトロに「わたしに従いなさい」を命じた。イエスを愛するとは、イエスに従うことであると知る。イエスはペトロの最後についても語る。行きたくないところに連れて行かれるという死に方、殉教の死を遂げること、そのことによって神の栄光を現すという。キリスト者の生涯の目的は、神の栄光を現すことにあるが、殉教の死によって神の栄光を現すこともある。パウロは、生きるにも死ににもわが身を通してキリストが崇められることを願っている(フィリピ1:20)。
- イエスはペトロにイエスの羊を飼うことを命じた。羊を飼うとはそもそも何を意味しているのだろうか。教会の中で羊を飼う人は牧師と呼ばれ、その働きは牧会と呼ばれる。羊を養うために説教をし、み言葉を糧として与える。迷う羊は探し出し、傷ついた羊を癒やす、羊飼いの働きである。牧師だけが羊を養う働きをするのか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御子>御子イエスは、ペトロを悔い改めに招き、罪を赦し、新たな使命を与える方である。
- <御子>御子イエスは「私を愛するか」と問われた。悔い改めるとは、罪の赦しを受けることだけを意味するのではなく、イエスを愛するとの応答が伴うことなのではないか。
☆神が私たちに求める生き方
- <命令>羊を飼うようにイエスは命じられた。それはわたしへの命令でもある。
- <命令>イエスはペトロに「わたしに従いなさい」と命じられた。それはわたしへの命令でもある。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、イエス様はペトロに「わたしを愛するか」と問われました。それは私に向けられた問いと受けとめます。私も「イエス様を愛します」と告白します。この告白を新たにすることができ感謝します。それは私が完璧に、また人が私を見て称賛に足るほどにイエス様を愛することができるから、できているからということではありません。私はイエス様を愛することを自分の生き方の基本にしたいから、「イエス様を愛する」と告白します。神さま、この私の告白が真実なものとなるように、私を導いてください。主イエスを愛することを主題とした曲で賛美したいと思います。リビングプレイズの中から曲を見つけます。
- イエス様はペトロに「私の羊を飼いなさい」と言われた。私は牧師の務めを離れたので、牧会すべき教会員はいません。しかし色々な方との関わりが新たに与えられています。牧会とは違いますが、愛から出る行為として、年長の者として関わっていくことができたらと思います。今日は、K牧師の説教を聞いてみたいと思います。
☆与えられた導き
- イエス様を愛することを主題とする賛美の曲を見つけて賛美する。
- K牧師の説教を聞く
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リビングプレイズ
7,18,47,82,106,111,177