2021年9月30日
(内容)
- パウロはテモテがもたらした知らせに慰めを受け、また喜んだ。
(黙想)
- この箇所は2章13節に続くものである。2章14~7章4節がどういうわけか、挿入されているというか、割り込んでいることになる。なぜそうなったのかは分からない。
- パウロはコリント教会を三度訪問している。使徒言行録に記録されている訪問は、一度目と三度目であり、二度目の訪問は使徒言行録には書かれていない。この手紙を書いた後、三度目の訪問をしている。
- 最初の訪問は使徒言行録18章に書かれていて、パウロは一年半コリントにとどまり伝道をしている。この結果コリント教会ができた。
- パウロがコリントを去ると別な教師たちがコリントにやってきて、パウロを批判したらしい。そこでパウロは自分が使徒であることを訴える手紙を書いた。それが第二コリント2章14~7章4節と言われている。この手紙を読んでもコリントの人たちの態度は変わらなかった。そこでパウロは二度目の訪問をした。しかしこの訪問はかえって事態を悪化させた。そこでパウロは涙ながらに手紙を書いた(第二コリント2:4)。そしてパウロはテトスに手紙を持たせ、コリントに行かせた。その結果がどうなるのか、パウロはやきもきしていた。パウロはエフェソにいたようである。テトスがなかなか戻ってこないので、待ちきれずパウロはコリントに向けて出発した。
- そして今日の箇所7章5節ではパウロはマケドニア州に着いたことがわかる。このマケドニアで、戻ってきたテトスと会ったのである。
- マケドニア州に着いた時、パウロには、全く安らぎがなく、また気落ちしていた。しかしテトスの到着は良い知らせをもたらし、パウロは慰められ、喜びに満たされた。涙ながらに書いた手紙のおかげで、そしてテトスがその手紙を持っていき、コリントの人たちとテトスとの話し合いにより、コリントの人たちはあらためてパウロが使徒であることを認め、パウロとコリント教会の関係が回復した。それを聞いて、パウロは慰められ、また喜んだのである。
- マケドニア州に着いた時、パウロは安らぎがなく、気落ちしていた。信仰者といえども、状況によっては、安らぎを失い、気落ちすることがある。これは信仰が足りないということではなく、人間として自然なことである。大切なのは、その時どうするかである。パウロは「気落ちした者を力づけてくださる神」と書いている。パウロは神に祈ったにちがいない。それでもパウロには全く安らぎがなかったこと、気落ちしていたことも事実である。
- 人間というのは不思議な生き物である。安らぎがなく気落ちしている一方、神に信頼し神にゆだね、不安や落胆に負けていないのである。神にゆだねたら、不安が消えるとは限らない。不安が残るから不信仰というのでもない。不安がある、気落ちする、それにもかかわらず神にゆだねる、神に信頼する、これが信仰と言ってよいのではないか。
- 大切なことは諦めないこと、神に期待することをあきらめないことである。どんな信仰者の祈りをも神は顧みてくださると信じる。そして神さまはテトスを通して吉報をもたらし、パウロを慰め、喜びを与えてくださった。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>気落ちした者を力づけるかた
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>安らぎがなく、気落ちしていても、力づけてくださる神に祈る。神に期待することをあきらめない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。あなたは気落ちしている者を力づけてくださるお方です。感謝です。個人的な状況としては、あなたの恵みの中で過ごしています。しかしキリスト者として、御国が来ますように、御心が天で行われるように地にもなさせたまえと祈る時、気持ちは複雑です。この世の現実はあなたの御支配がどこにあるのかと思わせられます。人間のエゴ、罪が横行しています。そして苦しんでいる人が多くいます。気落ちすることなく、主の祈りを祈り続けることの大切さを改めて思います。
- そして私にはもう一つ気がかりなことがあります。それは福音が余すところなく宣べ伝えられているのか、ということです。残念ながら福音が狭められて伝えられているような気がしています。福音とは罪の赦しであると、罪の赦しに限定されて宣べ伝えられていて、罪から自由にされる喜びのメッセージがあまり聞こえてきません。このことも祈っていますが、時には気落ちしてしまいます。でもあなたは力づける方ですね。神さま、私を力づけてください.そこで思いました。A牧師に注目します。彼が福音を余すところなく宣べ伝える説教者となるように祈りつづけることにします。導いてください。
☆与えられた導き
- A牧師のために祈る