2025年7月2日
(内容)
- パウロは律法による義と信仰による義を比較する。旧約からレビ記、申命記を引用して語る。
(黙想)
レビ記 18:5
わたしの掟と法とを守りなさい。これらを行う人はそれによって命を得ることができる。わたしは主である。
- 律法による義については、このレビ記が引用される。掟を行う人はそれによって命を得るとある。「律法による義」は律法を行い、それによって神の前に義であることを求める生き方である。旧約聖書は、イスラエルの人々が律法を守ることができなかったことを証ししている。律法の実践による義は、誰も得ることはできないのである。
- 信仰による義については、申命記30章からの引用である。
申命記 30:11
30:11 わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く~14及ばぬものでもない。
30:12 それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。
30:13 海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。
30:14 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。
- 申命記の内容は、神の掟は行うことができることを語る。神の掟は、遠くに捜しに行かなくても身近にあり、行うことができるという主旨である。
- パウロは、申命記の言葉を自分なりに修正して書く。6~7節の言葉は色々な解釈がある。申命記は、掟は遠くに捜しに行かなくても身近にあることを語る。それゆえ、パウロは、キリストはどこかに捜しに行かなくてもそばにいると言っているのではないか。さらに言えば、8節は「み言葉は近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」。この「御言葉」とは、「信仰の言葉」と言われる。信じるべき「言葉」である。これは身近にある。9節で信仰の言葉が具体的に紹介される。「イエスは主であり、死者の中から復活した」。これが信仰の言葉であり、これを信じればよいのである。
- 口でイエスは主であると公に言い表し、心がイエスの復活を信じればいいのである。信じて告白することが語られる。これによって人はキリスト者になる。キリスト者であることを言い表す。
- パウロの論理はわかりにくい。しかし、9節の言葉はどうすれば救われるのか、単純明快に語っている。パウロはキリスト者に語っているのであり、読者が自分たちは救われていることを確認できれば良いのではないか。
- キリスト信仰は、神の掟を実践し神に認められ、神の前に役割を果たし、神に祝福されることを求める信仰ではない。キリスト信仰は、神の救いの約束を聞いて信じて、その救いを自分の身に実現していくことである。信仰によって義とされることは、信仰の世界は入ることを意味する。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>信じる者を救う方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>信じること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。これまでの信仰生活を振り返ると、あなたの約束を信じることによって信仰の世界が広がっていきました。今、年老い、御国に対するあなたの約束が身近なものになっています。
- 神の国を待ち望む聖句は色々あります。自分にとってこれは本当に神からの約束だと思える聖句をを選んだみたいと思います。そして、この神の約束を信じますとあなたに告白したいと思います。導いてください。
☆与えられた導き
- 神の国を待ち望む聖句を3個選ぶ。
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1.神を見る
コリント一 13:12
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
2.義の冠を得る
テモテ二 4:8
今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
3.新しい天と地
ヨハネ黙示録 21:1~4
わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」