ローマ 10章14~15節 信じるに至る過程

2025年8月7日

(内容)

  • 宣べ伝える人がいてイエス・キリストが宣べ伝えられ、人々に聞かれ、聞いた人の中から信仰者が生まれ、神を呼び求める人が生まれる。

(黙想)

  • 10章でパウロは、キリスト教の立場として信じることによって義とされることについて説明している。具体的には、8節で、「口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させたと信じるなら救われる」と書く。9節ではこれを言い換えて、「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる」と書く。13節では主の名を呼び求める人はだれでも救われると書いた。主の名を呼び求めるのは信仰によって義とされた人である。
  • 14~15節では、どのようにしたら、主の名を呼びもとめることができるのかを説明している。イエス・キリストを宣べ伝えるべく派遣される人がいる。その人が宣べ伝えるから聞くことができる。聞くことができるから信じることができる。信じることができるから呼び求めることができるとパウロは丁寧に書く。
  • 人がキリストを信じるに至る過程を語る。そして良い知らせを告げる者の足はなんと美しいことかと書く。この「良い知らせを告げる者の足はなんと美しいことか」という表現は、良い知らせを告げる人が幸いな人であることを表現している。
  • 聞いたことのない方を信じることはできない。聞くから信じることができる。まさに信仰は聞くことから始まる。これは大切な原理だ。そして聞いたことを信じるには聖霊の働きがある。信仰は聖霊の賜物である。

エフェソ 2:8
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。

  • 聖霊の導きがあるから信じることができる。聖書から聞いて信じたことを、それは本当か、信じていいのかと疑う思いが湧いてくることがある。信仰の父アブラハムも神の約束の実現に疑問を持ったことがある。
  • ある人は、疑いがあるかも知れないが、それにもかかわらず信じるという。しかし聖書は信仰は聖霊の賜物とする。聖霊の賜物として信じるなら、疑わないのでは。疑いがあるなら、聖霊の導きを祈るべきだろう。
  • 信仰は聖霊の賜物。これは大切な真理。ある時、聖霊の働きによって信じることができ、疑いが消えたことがある。聖霊の働きを今一度感謝しよう。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>信仰は聞くことから始まる。信仰は聖霊の賜物である。聞いても信じない人は、聖霊の導きがないからである。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。年齢を重ね、自分の死を意識するようになり、神の国の希望について、これは本当なのか、との疑問が湧いてきて、信じたい、信じていいのか、と心の中で葛藤がありました。でもある時、一つの聖句を読み、疑いが消えました。聖霊の働きと信じます。あらためてあなたの導きを感謝します。あなたが信仰に揺れ動く私を顧みてくださったことを感謝します。あなたは信じるように招くお方です。感謝です。
  • 先日心に浮かんできたメロディーがありました。それは讃美歌です。讃美歌の何番か調べるように導かれ、調べました。「信仰受け継ぎ・・・」とあり、今の私にピッタリの讃美歌でした。讃美歌21の394です。今日はこの讃美歌であなたを賛美します。
☆与えられた導き
  • 讃美歌21の394番で賛美し、信仰に生きる幸いを神に感謝し、神をたたえる。

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