2025年8月5日
(内容)
- 72人の者を遣わすに際し、イエスはいくつかの注意を与えた。「平和があるように」との言葉に心が留まった。
(黙想)
- まず収穫は多いが働き手が少ない。だから収穫のための働き手を送ってくださるように収穫の主に願いなさい。この教えは現代日本の教会にも必要はイエスの教えである。教会の高齢化、礼拝出席者の減少の中で、福音宣教に献身する者が減少し、神学校に入学する人が減っている。収穫のための働き手を送ってくださるように主に願うことは必須の課題である。
- 5~6節の平和に関するイエスの言葉は理解しにくい。マタイ福音書10章で同じことが書かれている。イエスが12弟子を派遣する場面である。
・家に入ったら、「平和があるように」と言う。
・家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は、彼らに与えられる。
・ふさわしくなければ、その平和はあなた方に返ってくる。
- マタイの「家の人々がそれを受けるにふさわしければ」とある。ルカでは、「平和の子がそこにいるなら」とある。それ以外は、マタイとルカは同じである。
「平和の子がそこにいるなら」は、「平和を受けるにふさわしい」と言い換えることができる。 - イエスに派遣された者は「平和があるように」と言う。これは祝福の言葉である。私たちの礼拝でも、その最後に祝福の祈りがささげられる。礼拝に集う人々は、その祝福が自分にあるようにと信じて、その祝福の祈りを聞く。その祝福を受ける。
- イエスに派遣された者が家に入り、「この家に平和があるように」と祝福したとき、その家の人たちがその祝福を受け入れるかどうか、信じるかどうか。「平和の子」とは、受け入れる人、信じる人と言ってよい。信じる人がいれば、平和はその人にとどまる。いなければ、平和はイエスに遣わされた者に戻ってくる。神の祝福が戻ってくる。戻ってくるとは、結局、神の祝福がその家に与えられなかったことを示す。
- 派遣された者は、町や村に入ったら、拠点となる家を探す。家を見つけたら、「平和があるように」と語る。その祝福をその家の人が受け入れるなら、その家を拠点にして活動するのである。「平和があるように」との祝福を受け入れた人に神の平和が訪れる。
- 派遣された者たちは、自分たちを受け入れてくれる人の家を拠点にする。受け入れてくれるかどうかは、「平和があるように」との祝福を受け入れてくれる人、信じてくれる人である。
- 派遣された者たちは「神の国はあなたがたに近い」と語る。神の国が近づいているしるしとして病人を癒やし、悪霊を追い出したりする。そこで起きることは、人々が信じるか否かである。
- 遣わされた者たちが語る神の国についてのメッセージを人々が聞いて信じるかどうか。「平和があるように」との祝福の言葉も、家の人が信じるかどうか。
- あらためて「信じる」ことの大切さを思う。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>聞いたことを信じることの大切さを教えられる。信仰は聖霊の賜物である。
(神の導き)
☆祈り
天の父なる神さま、聖書を思いめぐらすことができ感謝します。あらためて、信じることの大切さを思います。それと同時に、信仰は聖霊の賜物であることを思います。私の心には時として、それを信じていいのか、との疑いが起きてきますが、信仰は聖霊の賜物であると信じることの大切さを思いました。私は信仰者に導かれ、また信仰を説く者とされました。聖霊の働きを信じ、導いてくださったあなたをほめたたる者としてください。信じる者として下さい。私に働きかけ、導いてくださるあなたに目を留め、あなたをたたえる者として下さい。
天の父なる神さま、この日本において、福音を宣べ伝える人が必要です。収穫は多いが、宣べ伝える人が少ないです。宣べ伝える人を起こしてください。祈ります。
今、頭の中である讃美歌が響いています。何番か分かりません。『讃美歌』で探してあなたを賛美したいと思います。導いてください。イエス・キリストの御名により祈ります。
☆与えられた導き
- 福音宣教者を起こしてくださるように祈る。
- 頭の中に響いているメロディーの讃美歌の番号を見つける。
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讃美歌21 394番
信仰受け継ぎ 試練に耐えて
今、わが心に 喜びあふれる