2021年10月18日
(内容)
- イエス・キリストの恵みを語る。イエス・キリストは豊かであったのに貧しくなられた。それはあなたがたが豊かになるためとある。
(黙想)
- 「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っている」とパウロは書く。その恵みは何か。その恵みを私は知っているのか。献金を語る文脈なので、パウロは豊かさ、貧しさという言葉を使っている。
- 神であるイエス・キリストが人となられたことを「豊かであったのにあなたがたのために貧しくなられた」とパウロは書く。
- パウロはフィリピ書でこのことを次のように書いている。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」。
- 貧しい私たちが豊かになるとはどういうことか。それは罪を犯すみじめな私たちが罪赦され、罪から自由にされ、神の子とされ、神の子として生きることを意味する。これはイエス・キリストの恵みである。これはイエス・キリストの十字架の死と復活によって生じたことである。
- しかしなぜ、神である方が人となられたのか。人とならなければならなかったのか。それは、神が最適と考えられた救いの方法だからである。人間を悔い改めに導き、神に立ち帰らせること、これが救いである。旧約聖書は神に立ち帰るようにいくら教えても人は神に立ち帰ることがないことを語っている。人間が自分の罪に気づき、神に立ち帰るためにはどうすればいいのか。罪に気づかせること、その罪を克服して生きることができることを知らせることが必要である。神の言葉を聞くことによって人は自分の罪を知ることはできる。ではどうしたら罪から自由になるのか。神が与えた救いは、イエス・キリストと信仰者が一つになることである。キリストと共に死にキリストと共に生きるという方法を神は提供した。
- そのためにイエス・キリストが私たちの所まで降りてくださって私たちを引き上げてくださるのである。
- 私たちは自分が罪のどん底にいたことを思い出さなければならない。キリストがあなたの罪を贖うために死んだとのメッセージを聞き、罪の赦しに感謝する。他者の罪のために自分の命を犠牲にするというとんでもないことが起きたのである。他者の救いのために自分の命を犠牲にすることは、私たちにできることではない。しかしイエスというお方は神であるのに人となり、他者の救いのために自分の命を犠牲にし、十字架の死を遂げた。それは父なる神さまの御心に従ってのことであった。
- これらのことは考えて理解できることではなく、信ずべきことと思う。他者のために自分の命を犠牲するのは、愛から出たことであり、ここにこそ真の愛がある。
- 大切なことは、罪からの自由を救いとして受け取ることである。神が人となり、人間を救うために十字架についた。それは人間を罪から救うための死であった。これらは信ずべきことである。この方の死により罪が赦される、これも信ずべきことである。イエス・キリストを信じる者は神の子とされる、これも信ずべきことである。私たちが神の子として歩み、罪から自由にされて生きることができることは、信じるだけでなく、体験すべきことである。救いの恵みとして経験すべきである。そうしてこそイエス・キリストの恵みを知ることになるのではないか。
- 私たちの貧しさとは、罪の中に置かれている惨めさである。私たちの豊かさとは、神の子とされて罪に勝利して生きることができることである。
- この救いにいかに感謝して生きるか。この段落は献金を勧める内容になっている。救いに感謝して愛の業に励むようパウロは勧めている。
- キリスト者は自分がどれほど豊かにされているのかを顧みる必要がある。つまりキリストの恵みをどれほど受けているかである。教会ではキリストの十字架が語られていると思うが、罪からの自由まで福音として語られているのかどうか。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエスは神であるのに人となられた。豊かであったのに貧しくなられた。それは人を救うため。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>キリストの救いの恵みをきちんと受け取ること。神の子とされ、罪から自由に生きる幸いを受け取ること。ここにキリスト者の豊かさがある。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は9節を味わいました。献金を語る文脈の中にあるので、救いの恵みが「貧しかったのに豊かになること」として語られています。私たちは何が豊かになるのかなと思います。それは神さまの恵みが豊かに与えられるということだと思います。あなたが共にいてくださり、日々守られて過ごすことができる恵みもあります。困難に直面してあなたが助けてくださる恵みもあります。それ以上の恵みがあります。あなたが私たちを神の子としてくださったことです。あなたが父となってくださったことです。そして私たちが神の子として罪から自由にされて生きることができるようにされたことです。罪に打ち勝つことができるようにされたことです。
- この救いの恵みに私は生かされてきました。本当に感謝です。私はこの救いの恵みを証ししたいと思いました。いくつかのことを救いの恵みとしてブログに書いてみたいと思います。そして救ってくださった神さまに栄光を帰したいと思います。
☆与えられた導き
- 救いの恵みを証しする。