2023年12月12日
(内容)
- キリスト者は律法に対して死んで、律法から解放されているとパウロは書く。
(黙想)
- 1~3節でパウロは、一つの例を語る。夫婦に関する事柄である。律法は姦淫を禁じている。それゆえ、夫が生きているのに、他の男と一緒になれば、姦淫の罪を犯したことになる。しかし夫が死んだら、他の男と一緒になっても姦淫を犯したことにはならない。夫が死んだら、姦淫をしてはいけないという律法から解放される。夫が死んだら、姦淫の律法は、妻を縛らない。死は、律法からの解放をもたらす。
- 4節でキリスト者はキリストの体に結ばれて律法に対しては死んだ者となっているとパウロは書く。
- 1節。「律法とは、人を生きている間だけ支配する」。律法は生きている人だけ支配する。そしてキリスト者はキリストの体に結ばれている。つまりキリスト者はキリストに結ばれ、キリストと共に死んだ者である。キリスト者はキリストに結ばれて死んだ者である。だから、律法はもはやキリスト者を支配することはない。そのことがキリスト者は律法に対しては死んだ者であり、律法から解放されていると語られる。
- でもなぜ、キリストに結ばれているなら、キリスト者は律法に死んだ者になるのか。それはキリストが十字架の上で、罪に対する神の怒りを受けられたからである。律法を破った責めをキリストは十字架の上で、その身に受けられた。人類の犯す罪に対する責めを一身に負って死んだ。キリストに結ばれた者は、このキリストの死に結ばれている。キリスト者も、律法を破った責めを受けて死んだのである。もはや律法に違反した責めを受ける者ではなくなった。
- キリスト者は死んだゆえに、律法の支配は及ばなくなった。律法から解放されている。
- コインには裏と表がある。上の話がコインの表とするなら、裏面の話がある。
- 人は律法の実行によって救われるのではなく、キリストを信じることによって救われる。だから、律法を守らなければいけないと考える必要はない。律法を守らなければならないという束縛からキリスト者は解放されている。キリスト者は律法の支配の下にはいない。以上が裏面の話しである。表も裏も、キリスト者は律法から解放されていることを語る。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>キリスト者は律法から解放されている。律法を守らなければならないという束縛から解放されている。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。キリスト者は律法から解放されているとのメッセージは貴重です。でもなかなか理解されません。どうしても、律法を守らなければならない、と律法の下にキリスト者は帰ってきます。
- キリスト者は恵みの下にいることを知ることが大切ですね。私自身は、律法から解放されたと信じ、律法を守らなければいけないという考えを捨てました。心に自由を感じました。ひなたぼっこをしているような気持ちよい状態を味わいました。
- キリスト者はもちろん、律法を守ります。神を信じるなら、神の戒めを守るのは当然です。守る動機が大事ですね。
キリスト者は、進んで律法を守りたいと考え、守るのですね。「守らなければならない」から「守りたい」の転換あるいは変化。これが大切ですね。どうしたらこの転換ができるのでしょうか。私は信仰とは神との交わりであることを知ったとき、心の変化を味わうことができました。 - 今日は、このことをブログに証しとして書いてみたいと思いました。導いてください。
☆与えられた導き
- ブログに証しを書く