ローズンゲンとボンヘッファー

しかし、いっそう印象的ないま一つの実例は、バルトと並んで告白教会の中でもっとも明確はヒトラー反対の立場に立っていたディートリッヒ・ボンヘッファーです。彼のローズンゲンとの関係は、あとで『獄中書簡』についていっそう詳しく触れますが、ここでは、短く彼の『日記』の一節をとりあげてみましょう。
第二次大戦の始まる直前、1939年初夏のころ、ボンヘッファーは、アメリカの友人たちの好意で一度は亡命のチャンスを与えられて渡米します。しかし、ふたたび決意してドイツに帰国し、ナチ政権をくつがえすため、抵抗運動に加わる道を選ぶのです。帰国への決意をするにあたって、彼は、アメリが滞在中にローズンゲンと対話をくり返しています。彼がローズンゲンを知るようになったのは、すでに幼い日に、敬虔主義的だった彼の母あるいはお手伝いの女性から受けた影響によるものと思われます。
アメリカにとどまるべきか、それとも帰国すべきかという厳しいディレンマの中で、日毎のローズンゲンは、彼に励ましと導きとを与えるものでした。6月26日に、彼は、その日のローズンゲンの中に「冬になる前に急いできてほしい」(Ⅱテモテ4:21)という言葉を発見しています。

「この言が一日中、私の頭にこびりついて離れなかった。それは、戦場から休暇で帰ってきた兵士が自分を待っていたすべてのものをふり棄てて、また戦場に引き戻されるときのようなものだ。・・・『冬になる前に急いできてほしい』--これをもし私が自分に言われたことだととらえても、それは聖書の乱用ではない」。

二日前の日記にも、ローズンゲンの聖句「信ずる者は逃れることはない」(イザヤ28:16)をかかげ「私は家郷での仕事のことを思う」と記しています。こうして帰国の決意を固めると共に、彼は良心的葛藤から解放され、晴れやかな気持ちで、ただちにドイツに引き返すのです。それは殉教の死に通じていました」。

(『御言葉はわたしの道の光』、宮田光雄著、新教出版社,p11)

 

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