2018年7月19日
(内容)
- イエス様一行がマルタの家に迎えられたときの出来事。マルタは食事の準備で忙しくしており、姉妹のマリアはイエス様の話に聞き続けています。手伝わないマリアにいらだちを覚えたマルタは、イエス様に訴えます。しかし、必要なことはただ一つ、マリアは良い方を選んだと言って、マルタの抗議をイエス様は受け付けません。
(黙想)
- マルタの家での出来事を一つのたとえと解釈してみます。マルタのように日常生活において、多くのことで思い悩むのは常で、身近な人にイライラをぶつけたくなる私たちの姿があり、イエス様は、そんな私たちに必要なことはただ一つと語り、私たちに生き方の転換を迫っていると理解することができます。
- 日常生活の中で、多くのことで思い悩むのは、さまざまな思惑があるからです。自分の思い通りにしたいけど思い通りにならないとか、人の目を気にしてどうしたら良いかと考えたり、自分は一生懸命やっているのに周りの人が勝手なことばかりしてとか、誰も自分の努力を理解してくれないとか、日常の雑事から解放されたいとか、色々な思いに私たちは悩みます。生き方をシンプルにし、御言葉に立つという生き方に徹底すれば、日常生活の思い悩みは整理されていきますとの教えがたとえとして語られていると解釈できます。
- たとえではなく、マルタ家の出来事に注目したらどうなるのでしょうか。この場面はイエス様とマルタとのやりとりです。イエス様の言葉にマルタが納得したとは思えません。私の気持ちをイエスは理解してくれなかったとの不満が残ったのではないかと思います。
- マリアはこのやりとりを聞いていたことと思います。イエス様は、マリアから取り上げてはならないと語り、マリアはイエス様の話を聞き続けてよいのだと告げていることになります。マリアはイエス様の話を聞き続けることになります。イエスは正しいことを語られ、マリアは不満が残り、マリアはイエス様の話を聞き続けることになります。マルタの思い悩みには、解決が与えられず、不満が残ったままです。
- マリアはマルタを手伝ってあげればよかったのにとか、マルタは、もっと簡単なもてなしにすればよかったとか、考えることはできます。自分がマリアの立場だったら、マルタの立場だったらとか、どうするだろうか、と想像ができます。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)42節。必要なことはただ一つと教えられる方。人間にとって本当に必要なことは、神の言葉を聞くこと、そのことをイエス様は知っており、またそのように生きておられる。
☆神が求める私たちの生き方
- (教え)41節。思い悩むことは私たちを苦しめますが、そこから自由になることができます。イエス様は、必要なことはただ一つ、その一つのことを求めなさいと教えています。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、必要なことはただ一つだけと教えられます。幸いに今、多くのことで思い悩むことはありません。牧師の働きを引退し、しなければならないことは多くはありません。孫の見守り、無牧の教会の説教の奉仕、あとは家事の分担、これくらいでしょうか。マルタのような不満を覚えることはありません。こうして聖書にも親しみ、あなたのみ心に聞こうとしています。自分のことに関すれば、祝福されています。
- キリスト者として今、この世界でいかに生きるのかという課題はあります。この世界、そして日本という社会には、様々な問題があります。そして隣人を愛しなさいとの神さまの御心を知っています。そういう中で、必要なことはただ一つと聞きました。(ここまでは午前中)。
- 天の父、今日説教の準備をしていて(今は夕方)、あらためて福音をどう理解するのか、自分の理解をきちんとまとめたいと思いました。福音を宣べ伝えてきたものとして、これをしないと、信仰者としての私の人生、牧師として歩んだ私の人生は未完成になるような気がしました。自分の福音理解をまとめることは、これからの人生において必要なこと、なすべきことであると思わされました。きちんと言語化してみたいと思いました。導いてください。まず祈ることから始めます。
☆与えられた導き
- 自分の福音理解をまとめることができるように、まず祈る。