ルカ福音書 13章22~30節

2018年9月29日

(内容)

23~24節

  • 「救われる者は少ないのでしょうか」との人々の質問に対して主イエスは、「狭い戸口から入りなさい」と教え、「入ろうとしても入れない人が多い」と語られます。救われる人は少ないので、狭い戸口から入るように教えられます。狭い戸口から入るとはどういうことかは示されていません。

25~27節

  • 家の主人が戸を閉めてからでは入ることができないこと、戸が閉じられた後では、いくら主人と知り合いだからといっても戸は開けてもらえないことが語られ、信仰の決断を遅らせてはならないことが教えられます。

28~30節

  • 他の人々は神の国に入るのに、自分が外に投げ出されることのないようにすることが大切であると知らされます。さらに「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」と教えられます。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)御子は、私たちを神の国へ招く方です。
☆神さまが私たちに求める生き方
  • (勧め)24節。狭い戸口から入ること。
  • (警告)(28節)。神の国に入るのを拒否されないようにすること。
(神の導き)
☆祈り
  • 天の父なる神、今日読んだ聖書には、神さまから拒否される人のことが描かれています。「入ろうとしても入れない人」がいますし、戸をたたいて「御主人様、開けてください」といっても開けてもらえない人がいます。また神の国に入ろうとすると外に投げ出される人がいることが書かれています。他方で東から西から、南から北から来て神の国で宴会の席に着く人も沢山いるように見えます。
  • イエス様は人々を神の国に招くべく活動をなさいました。そしてイエス様はここで、神に受け入れられない人がいることを教えています。招かれる人は多いが、招きに答える人の少ないことを教えられます。イエス様の招きに答えるためには、悔い改めが必要になりますが、人はなかなか悔い改めないですね。
  • 神さまの前での自分のあり様が罪人であることを認めるのは簡単なことではありません。人は自分を罪人などと思いたくありません。自分を正しい者であると考える傾向があります。
    それはいつの世でも同じですね。信仰者でさえ、そのように考えるかもしれません。律法学者やファリサ派の人々は、自分たちは神を知っている、神の掟を守り、正しく生きていると考えていました。何を基準にして、自分あり様を吟味したらよいのかと思います。その答えは簡単ですね。聖書ですね。私は聖書に親しみ、思いめぐらし、あなたを仰ぎ、自分を点検します。
  • また人々に福音を宣べ伝えるイエス様はどのようなお気持ちなのかと考えます。人々が悔い改めることを願っておられることと思います。人々が心をかたくなにし、悔い改めなければ残念な思い、悔い改めずに人が滅びに向かうのを悲しまれることと思います。
  • 今、洗礼に導かれるように数名の人を覚えて祈っています。「悔い改めて洗礼に導かれるように」と、「聖霊に導かれてイエス様を主と告白できるように」と祈るようにしたいと思います。更に「神の国に拒まれることのないように」とも付け加えて祈ります。
☆神の導き
  • 受洗に導かれるようにではなく、祈りの言葉を整えて祈ることにします。

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